ことわざの道
ことわざの道
フラクタルの森の中に作っていましたが
現在は、大和山のハイキングコースに並べております。
(道の駅 かよう から 1.5時間の高度差約200メートルのコース
半分は舗装路)
大和山ハイキングは、毎年4月に開催されます(11月に変更の可能性)
当日参加も可能
吉備中央町役場、協働推進課、℡ 0866-54-1301 までお問い合わせ下さい。
道の駅「かよう」の隣の「ふれあい荘」に集合です
参加費 700円 豚汁・弁当・お茶代などが含まれます
5W2Hや
人の持つ徳分(悟性・感性・知性・理性)
釈迦の悟りの四諦八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)などを参考に
4つの柱に分けて並べるように努力し節目節目での人生訓となるようなモノを選んでいます
-何を・悟性正見(スタート) 環境や様々な事象を正しく見ているかどうか?
- 千里の道も一歩から
(どんなに大きな事業でも、まず手近なところから着実に努力を重ねていけば成功する) - 人生は一冊の問題集
(その課題は自分に与えられたもので、ほかの人に解いてもらうことはできません。しかし、その課題は必ず解ける問題であり、それを解決しながら私たちは人生のステージを上げていくのです)日蓮 - 袖すり会うも多生(他生)の縁
(袖振り合うも多生の縁とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。漢字を見ても分かるように多少でないことに注目)仏教 - 幸福になるということは 権利でなく義務である
(幸福は与えられるものではなく、認識、選択しようとする意志にあり、幸福は守るべきものではなく、自ら選択し創造し遂行し広げていくべきものである・・・アラン) - 神は自らに似せて人を創られた
(人の心、魂の中に込められた理念〈プログラム〉には神仏と同じモノがインプットされている。その力は自由にまかされているが使い方を間違える事なかれという教え・・・聖書) - 己を信じ 人を信じ 神を信じよ
(自分や他人の問題点は多々あり、神仏の存在をも疑うような不条理な事件事故も数多く起きるけれど、されど、その善なるを信じひたむきに前進することを勧める言葉) - 信はたて糸 愛はよこ糸 織りなせ人の世を美しく
(中日国交回復に貢献された元全日空社長の岡崎嘉平太氏の言葉。吉備中央町、この地の出身です) - 朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり
(朝に人がどう生きるべきかを悟ることができれば、夕方に死んだとしても後悔はないということ。悟りを得ることの大切さ教えてくれている言葉) - 天網かいかい疎にして漏らさず
(天の網は粗くて粗雑に見えるけれどどのような事も漏らすことはない。天罰を逃れることは決してできないということの教え )『老子』 『魏書』 - お天とうさまが見ているよ
(人の見ていない所でも行いを慎み、良心に恥じるようなことはしないという教え。誰にも見られていないようでも神仏には知られており、神仏の子である自分自身こそ知っていることなので、後で後悔するような事はしないことだ) - 人は姿を見 神は心を見る
(本当に大切なモノは目に見えないことの中にある)岡崎嘉平太氏の色紙の言葉 - 天は 自ら助くる者を助く
(人に頼らず自分自身で努力する者には、天が助け、幸福をもたらすということ)サミュエル・スマイルズ の『自助論(Self-Help)』
-なぜ・感性・正思(森のなかの地道) その思いは正しいかどうか?
- 人を愛し 人を生かし 人を許せ
(豊かな人生を送るためには愛の器を大きくして行くことが必要) - 正直は一生の宝
( 神様は誠実な心で正直に生きる者を見守っており、必ずそのご加護が あるという意味で、正直の大切さの教え。) - 念ずれば花開く
(物事は願うでなく、念じる位に思って 行動すればいつか花が咲くものだという教え。詩人、坂村真民さんの詩の 一句。) - 蒔かぬ種は生えぬ
(原因がないのに結果が生じることはないというたとえ。また、努力もせずに良い結果を期待することなど無駄だという教え) - 求めよさらば与えられん
(与えられるのを待つのではなく、自ら積極的に努力すれば、必ずよい結果が得られるということ)聖書 - 心の欲するところに従えど のりを越えず
(自分の思うがままに行なっても,正道から外れない。孔子70歳の心境を述べたもの。理性の大切さを暗に示している教え) - 人を呪わば 穴ふたつ
(自他は別個のものではなく連携しており一体のモノであり、人に害を与えようとすれば、やがて自分も害を受けるようになるという教え。 ) - 少年よ大志をいだけ
(米国人クラーク博士が、札幌農学校の教頭を辞して日本を去るにあたって、教え子たちに贈った言葉。若者は大きな志を持って世に出よという意味。) - 笑う門には福きたる
(いつもにこやかに笑っている人の家には、自然に幸福がやって来るということ) - うそをつくとえんま様に舌を抜かれるよ
(嘘をつくと、死んでから地獄の閻魔大王に悪い舌を抜かれる。だから嘘をついてはいけないと、子どもを戒めたことば) - 立ち向かう敵は、おのが心の鏡なり
(世の中というものは、こちらの態度がそのまま相手の態度になって返ってくることが少なくないとの教え)
-どのようにして・''知性・正語, 正業、正命、正精進(舗装路)その行為は恥ずかしくはないかどうか? ''''
- 案ずるより産むがやすし
(始める前はあれこれ心配をするものだが、実際にやってみると案外たやすくできるものだというたとえ) - コツコツは勝つコツ
(努力の勧め) - 転ばぬ先の杖
(失敗しないように、万が一に備えてあらかじめ十分な準備をしておくことのたとえ) - 石橋をたたいてわたる
(用心の上にさらに用心を重ねて物事を行うこと) - 急がば まわれ
(急いで物事をなしとげようとするときは、危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって得策だということ) - 過ぎたるは 及ばざるがごとし
(何をするにも、いき過ぎになっていると、それがどんなに良いことでも、むしろ不足ぎみや不満足な状態と変わらない。過度になってしまうようであれば、むしろ控え目にしている方が良いという教え) - かわいい子には 旅をさせよ
(我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということ) - 鹿を追うものは 山を見ず
(目先の利益を追っている者は、それ以外のことが見えなくなり道理を忘れてしまうことのたとえ) - 義を見てせざるは 勇なきなり
(人として行うべき正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことである) - 心頭滅却すれば 火もまた涼し
(心の持ち方ひとつで、いかなる苦痛も苦痛とは感じられなくなること ) - 災いを転じて福となす
(自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫すること) - 雨ふって地固まる
(もめ事の後は、かえって良い結果や安定した状態を保てるようになることのたとえ) - 早起きは三文の得
(朝早く起きると良いことがあるということ。時間の有効活用) - 貸し借りは他人
(親子兄弟でも、金銭の貸し借りでは他人同様の冷たい仲となりがちであること) - 老いては子に従う
(年をとったら出しゃばったり我を張ったりず、何事も子に任せて、これに従っていくほうがいいということ) - 利自即利他
(自分を幸福にし、他人も幸福にする。自分の幸福と他人の幸福を両立させること) - 自助努力
( 他に依存せず,自分の力で困難を乗り越える努力) - 三人寄れば文珠の知恵
(凡人であっても三人集まって考えれば、すばらしい知恵が出るものだというたとえ) - 人事を尽くして天命を待つ
(人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せるということ)
-どうなった・理性・正念、正定・果(頂上) 正しく未来をイメージしているか?正しく反省をしているか?
- 学びて思わざればすなわちくらし 思いて学ばざれば則ちあやうし
(どんなに勉強しても、自分で考え、研究しないかぎり本当の知識とはならない。しかし、自分で考えるだけで人の知識や経験を学ぼうとしなければ独善におちいる) - 孝行したい時 親はなし
(親の有り難さがわかる年頃には、親はこの世にはいない。親が生きているうちに孝行せよという戒め) - 子を持って知る 親の恩
(自分が親の立場になって初めて子育ての大変さがわかり、親の愛情深さやありがたさがわかるということ) - 子を持って知る 神仏の願い
(親の立場になって子や孫を想うとき、人々に対する神仏の願いがどうであるかを感じる事が有る:玄明) - 百獣の王ライオンは、我が子を千尋の谷から突き落とす
(神仏の愛情の厳しさを教え諭す言葉) - 陰徳あれば陽報あり
(人知れずよい行いをする者には、必ずよい報いがあるということ) - たつ鳥あとを濁さず
(立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ) - おごる平家は久しからず
(思い上がった振る舞いをする者は長く栄えることはなく、いずれ滅びるというたとえ) - 過ちて改むるに はばかる事なかれ
(過ちを犯したことに気づいたら、体裁や対面などにとらわれず、ただちに改めるべきだという戒め) - 実るほど頭を垂れる稲穂かな
(人格者ほど謙虚であるというたとえ) - おわり良ければ全て良し
(物事は最終の結末がもっとも大事であり、途中の過程は大目に見る必要が有るとのたとえ) - 万事塞翁が馬
(人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、単純に悲観すべきでないというおしえ)