陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

サヨク思想と全体主義

サヨク思想と全体主義

憲法9条を素晴らしいものと見て擁護する人たちは、これをもって平和憲法としているのかもしれませんが、表面的な所(陽)しか見ていない。
こんな見方をしている人の場合、こんな見方もしてしまいます。
軍隊とか、自衛隊は、銃とかミサイルを撃って人殺しの訓練をしているという見方です。
表面だけを見ればそうかもしれませんが、その行為を支えているマインド(陰)を見るべきです。人殺しの訓練という見方をしている人たちは、そのような人たちを戦争が好きな幾分乱暴な人たちのように見ている可能性が有ります。その行為を支えている、心の部分(陰)を見ようとしないで表面の現象だけを見ているのでそのような見方をするのでしょう。

軍事に関わっている人たちの心の中には、もちろん、実際には色んなマインド(陰)があるでしょうが、本質は「お役に立ちたい」というマインドのはずです。
「国を守りたい」「家族を守りたい」「安心して暮らせる社会を造りたい」さらに「素晴らしい国際関係を築きたい」「他国を暴走させて理不尽な行動をさせてはいけない」「戦争、紛争が起こらないようにする為には、毅然とした態度が必要だ。そのためにしっかり訓練して実効有るものとしておかなければならない。そうでなければ抑止力にはならない」とか、基本はそのようなモノでしょう。

日本が今まで平和だったのは、憲法9条という平和憲法が有ったからではありません。
それは、この地上最強のアメリカ軍が日本に軍事基地をおいて駐留してくれていたからです。
戦争が起これば、基地が攻撃対象になるからと危惧する意見も有りますが、軍事基地を持たない、また、外国と交戦する事を禁止させられている自衛隊しかなければ、相手方の暴走を許してしまいかねないのです。

これは、比喩で考えてみると学校でのいじめ問題と一緒です。
いじめる側は、家庭(国内)などに問題を抱え不安定な為に、外部にその不安要因のはけ口を求めたりします。ちょっとした事で周りのものに当たろうとします。限度を超えて犯罪レベルの事までやってしまう事もあります。
周りがそのことで適切な対応が出来なければさらにエスカレートしていきます。
しかし、毅然とした態度で接するものには手を出してきません。
それと一緒です。
是非、複眼で見ることを勧めます。

片目で見ている人たちの中に、GHQに押しつけられた現憲法に対して「護憲」を唱えつつ「反米」を訴えている人たちがいます。
明らかに矛盾しているのですが、これは、複眼で見られない為に蛇行しているのでしょう。

最初は、優しい気持ちで平和を願い戦争に反対します。
また、優しい気持ちで貧しい人たちや虐げられているような人たちの味方をします。
優しさ故に社会主義的な政策を是とする傾向が強くなります。
共産主義的に大企業や、高収入をあげている富裕層に対して反発する気持ちを強めていきます。

そして、その優しさを一つの自己信頼として、強く打ち出すと、その物差しで計れない事に対して断固として拒否反応を示します。嫉妬心もからみ金持ちや権力者に対してけしからんといった気分に支配される事になります。しかし、最初、野党の時は反体制を標榜していた人達は、権力者側に立つと全体主義へと蛇行させて行きます。
その理由は、彼らの多くは唯物論者であり、無神論者であること。そのために見ている世界が小さく、自分自身を主としてしまいます。神は自分であり、自分の中の正しさが絶対だと思いこんでしまっているからです。

優しさの発揮の段階で、あまりにも偏りすぎている為に、その理論の元に全体主義とならざるをえなくなるのです。偏ったひずみを色んな人や、周辺国家のせいにしていきます。
そして弾圧や強硬な外交手段へと進んでいくのです。
左翼思想から全体主義へと蛇行していきます。
左翼の人と右翼の人は、表面に現れている事が違うだけで同根のことが多いのです。
これは、躁鬱病が、蛇行しているのと同じ現象です。

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