陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

宗教に4態ある

宗教に4態ある

宗教、思想は4つの形に分類される
0・1・複数・複数の中に高低差が在るという見方である

無宗教・・・・共産主義、マルクス教など
一神教・・・・ユダヤ教、イスラム教、仏教の中の日蓮宗(不受布施派)など
多神教・・・・仏教、ヒンズー教、神道など
至高神・・・・幸福の科学

もちろん、単純に分けきれるものでもない
日本でよく言われている「私は無宗教です」という言葉の中にも2種類有る
本質的な無宗教と極端な多神教ゆえの無宗教
神仏の存在を全く認めず、宗教は単なる心弱き者達のより所であるとする考えと
特定の宗教に入っているわけではないが、いろんな仏神を認めており
教会でもお寺でも神社でも何でも手を合わせることが出来る考え

そして、宗教のせいで世界中から紛争が無くならないとする考えがある
しかし、紛争が起きる原因は、思想宗教の対立の前に「利害の対立」がある
親兄弟で同じ宗教観、同じ世界観であっても
利害が対立し始めると殺しあうことすらある

紛争が一番多い宗教は何かと言えば
文字どおりの無宗教という宗教が一番多い事を知っておく必要がある
確かに一神教同士の偏狭な考え方が紛争の火種のように感じるけれど
20世紀で一番多くの人命を奪ったのは無宗教国家や無宗教団体だったという事も言われている

なぜなら、無宗教、無神教であるならば
正しさの中心をどこに置こうとするかを考えればいい
主なる神は、自分自身であったり、自分たちのグループの考えであり
一神教以上に偏狭な考え方になる

確かに、利害の対立は宗教観の違いによっても起こる
たとえば時間の認識の違いでも利害関係は違ってくる
死ねば全てが終わるという考え方と
死んでも霊体は残り、生前の思いと行いが来世、来来世まで影響するという考え方
この違い一つでも、人生上のいろんな判断や対応に違いが出る

そして、神仏、天なる存在が在り我々を産み出し育んで見守ってくれているとする場合と
人間は、ダーウィンのいうように偶然に自然に生まれただけの存在と見る場合とは違う
これらの世界観の違いだけでも、当然ながら善悪の判断に大きな影響が出る

しかし、どちらにせよ、利害が相克しなければ紛争は起きる訳も無し
利害が反しあう状況が出て来たとき
仏神の視点を持ってくることが出来れば解決の方法も有る
もちろんどのような神様を主とするかにかかわるが

主なる神を自分に置くか
民族神レベルに置くか
出来るなら、最低でも地球神レベルをもってきてほしい
全人類をわが子とみているような神

世界には、いろんな神様がいる
人間は、神の子、仏の子という考え方もあるように
自分自身を主なる神にすることもできるし
氏神様、民族神、様々な神様がいるという現実がある

しかし、それらを認めつつも至高神
要するに地球神を求める気持ちが無ければ
独善的な世界観、宗教観で終わってしまうことになる

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