陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

政治と思想

政治と思想

政教分離が誤解されて認識されている
政教分離が言われているのは、

一部の宗教が政治と一体となって他の宗教を弾圧してはならないということ
政治は、信教の自由を国民に認める必要があるということ

このことに該当して問題が有るのは、中国

「無宗教」という宗教観の共産党一党独裁で宗教を弾圧している

表面は、孔子も復活させ信教の自由を認めているように見せているがあくまでもポーズ
チベット僧の抗議の焼身自殺が頻発していることをみてもわかる
日本国内でも無宗教という思想の方にとって、宗教とは幾分いかがわしいものとみる傾向がある

そのような左翼思想の人たちにとって、
国家神道の長である天皇という存在は忌むべきものと見ているでしょう

そのような人たちが日教組の中に多かったせいもあるのだろう
多くの人達が宗教が政治にかかわってはいけないことのように思い込まされている

しかし、日本が素晴らしい国づくりをしてこられた背景には
神道が仏教精神や儒教を入れ、日本人の心を作ってきたからに他ならない

精神性なく政治経済を運営している姿を想像してほしい
支配層の利得のために、自分たちの利益のためだけに運営され
利害が一致している時には良い関係でおられても
利害が相反し始めると簡単に紛争の関係に入る
まさしくけだものの世界

その精神性が具体化され様々な現実を突きつけています
素晴らしい未来社会を始めるために
宗教告白の時代が始まる必要性を強く感じる

2013年

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