陶玄郷

比喩で見て考えることで抽象的な事案を明確化することが出来る

比喩で見る

比喩で見ることで得られるもの

◎物事が分かりやすくなる

いろんな事柄は、表面的に見えている姿は違っても中身は同じ場合が多いでしょう。

万象万物を貫いている法則には、共通したものがあり、
それは、簡単に言うとするなら原因と結果の法則(因果律)です。
違う形で説明すると、陰陽学の説明になりますが
全ては陰と陽という2つの要素の連鎖でこの宇宙は創られている可能性が有るからです。どのような複雑な事でも、元をたどれば常に2つの要素の重なりのようです。
電気も2極が有って流れます。地磁気もそうです。
顕微鏡で見る世界と望遠鏡で見える世界と似ている所も有ります。

複雑に言うなら、物事を正確に伝える際に用いられる確認事項でもある5W2Hの流れであり、これは、「深く見る」とも関連してきますが、どのような事柄でも、必ずこの循環の上に成り立っています。

社会問題など複雑になればなるほど正しく見られなくなり
謝った判断を繰り返し、思ってもいない方向へ向かう場合がありますが、
そんな場合に、対象をシンプルに見るために
スケールダウンして見るかスケールアップして見るかするのです。

社会経済問題も家庭内のお金の流れに翻訳して見るとか
この宇宙自体が神のどんな思いにより創られているのかを考えてみることで
大きな因果の流れから逸脱することを防ぐ事も出来ます

比喩で見る(車)

人生や社会の舵取りと同じような要素が有るのが車です
車には色んなパーツが有りますが、基本的な要素は、整理してみると3つです

1.ハンドル・・・右するか左するか決めながら進むべき先を決めます

2.アクセルとブレーキ・・・安全に早く目的地を目指す

3.運転手・・・これは、不可欠です。

人も、運転手である心(魂)があり
ハンドルとして右脳的なモノと左脳的なモノがあります
情(右)・・・好き嫌い と
理(左)・・・プラスかマイナスで向かう先を決めます

向かう先を決めたところで
その道程で、どこにアクセルをかけブレーキをかけるかという判断があります
アクセルを踏むべきところでブレーキをかけたり
ブレーキを踏むべきところでアクセルを踏んだりすれば
しょっちゅう事故も起こすし、目的地へ到達できません

人生や社会の複雑な構成要素も整理すれば、車の運転に例えることが出来ますが
自動運転を例にとればもっとはっきりしてきます

人の代わりに、天空から地図情報が降ろされ
車の中のナビゲーションが有ります
向かう先を決める事で案内を始めます

少しわかりにくいかもしれませんが
次の図は、まさに立体的に観た時にピラミッド構造にも似ています

星のマークが有る所が人間です
そして、天空には神と言っても良いのですが真理が有ります
アクセルが左脳的なモノ
ブレーキが右脳的なモノ

画像の説明

迷路に入り込んだ場合、他にも色んな事に例を取ってシンプルに考え直すことで立体的に見えてくるでしょう

比喩で見る(植物)

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深く考える」とは
この図の下の方へと掘り進むことになります

左脳的な所だけ鍛えた人は
地面の上の目に見えている所だけで満足するようです
なぜ?と問いかけても「どのようにして」の所から掘り進もうとしないようです

トヨタの製品管理法の中になぜ?を何度も繰り返す事で
本質的なカイゼンをしていくそうですが、同じようなことなのでしょう

深く考えない例として、ダーウィンの進化論があります
「環境の変化などにより、突然変異を起こし、自然淘汰され、適者生存することで、進化してきた」という事で
地面の上の見えている所しか見ていません
「なぜ」の所を埋めてないのです

それなのに、多くの人達が未だにそれを信じています
あの公共放送とかいうNHKには、その名を冠した番組まであります

「なぜ」とは、思いであり、動機であり、目的でもあります
種でもあり、遺伝子でもあり、翻訳すれば設計図です
設計図の源泉です
何故をもっと突き詰めて掘り下げていけば、真理です

車でも家でもパソコンでも、土で作れれる器でも
身の周りを見て設計図無く出来ている物はありません
多くの設計図と多くの行程、過程を経て存在しています

DNAは設計図です
それなのに、生命体については設計図も何も無く存在しているという

何でもそうですが、設計図でもプログラムでも必ずインプッターが居ます
車なんかどれほどの人達の設計図の集積で造り上げられているか
その車と比較にならない高機能の人体には、どれだけの設計図が在るか
設計図(思い)無く存在できているモノなど無いのです

その設計図を誰が描いているのか
当然、目には見えないが間違いなく居るのです
証明することも出来ないが、何らかの思いが具現化して
我々生命体が創られているということは間違いの無い事実です
それを信じる必要がある

そして、その思い、その願いが何であるのか
探求する姿勢こそ信仰の本質ではないだろうか

自己も 世界も
原因の
種がまかれて・・・因
水をやり  ・・・縁
果実が実り ・・・果
報い有り  ・・・報
果実の 甘さ 苦さにも
種と 育ちに 理由あり
            解脱の言葉『仏説・八正道』の中より

比喩で見る(集団的自衛権)

国家間で見るのでなく
学校内の問題に縮小して考えれば良いでしょう。
学校内でのいじめに引き当てて考えれば簡単に結論が出るでしょう

比喩で見る(地方創生・地域活性化)

日本列島を人体に置き換えて考えるのです
簡単に見えてきます。

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