陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

見えにくいものを見る

見えにくいものを見る

この陰陽学は、一言で言うならば、
見えているモノだけでなく見えにくいモノも一緒に見ていきませんかという提案でもあります。

見えにくいモノを無視していると、愚かな判断と愚かな行為で
知らず知らずに不幸への道をまっしぐらに進んでいる事が有るからです

見えにくいモノには、
重なっていて見えにくいモノと
離れていて見えにくいモノ
混ざり合って見えにくいモノが有り
目に見えにくいモノの中にそのものの価値を支えている秘密が隠されています。

◎離れていて見えにくいモノ (空間軸)・・・他者・環境と自己
◎重なっていて見えにくいモノ(時間軸)・・・原因と結果
◎混ざり合って見えにくいモノ(人間軸)・・・情と理

ソクラテスの「無知の知」という考えが有りますが、
知識の整理箱を何個も作っておく必要があります。
自分自身知らない事をはっきりと認識する事が出来て始めて
それまで知らなかった事を知る事が出来るようになるように、
本当は知らないのに、知っている事として間違った認識をそのまま持ち続けている場合、
新たな科学的事実が明らかになってもなかなか受け入れる事ができないでいます。

誰であれ、みんなその認識しているモノは、
多かれ少なかれ刷り込み、暗示によるモノが多いのです
その暗示が間違っている事だっていっぱい有るのです。

ただ単に環境に教育され受け入れているだけの「知」もあります。
自分の都合に合わせて信じ込んでいるだけの「知」もあります。
経験や実験を通しての「知」もあります。
もちろん未だ知らない未知の「知」も有ります。
色んな「知」の引き出しが有るのです。
各人それぞれが認識している内容には、段階が有る事を知り
未知なるものが有る事を知り、常に見えにくいモノを見ていく努力をしながら
真理を求めていく姿勢がとても大切なのだと思います。

実際の目でもそうですが、左右の目で見ると、
片方の目で見えなかった隠れたほんの少しの部分の映像を補って見る事で
見ている物が立体的に見えます

同じように、抽象的な事であっても目に見えにくいモノを見る事で
より立体的に見る事が出来るようになるのではないでしょうか

考えてみれば、この世で素晴らしいとされるものは証明しにくいものが多く
目には見えにくいものです。
凄さは目に見えても、その素晴らしさは、なかなか見えにくいものです
結果は見えても、その素晴らしい結果を生みだしている原因は
なかなか分かりにくいものです
目に見えにくいモノを無視していると、その成果に陰りが出てくる事になります

みんなが執着し便利な道具でもある通貨、お金が有りますが、
その価値を支えてくれている要素も目には見えにくいものです
その価値を支えてくれているのは一言で言うなら「信用」ですが
その内容をないがしろにしているとその価値は減り消えいきます
全ての価値あると思われていたものが、消えていく可能性があるのです

見えないモノの中にこそ、大切なものが有り、見えにくいモノを見ようと努力する中に
真実のものは垣間見えてくるのではないでしょうか。

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