陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

陰陽とは、支えるものと 支えられているもの

陰陽とは、支えるものと 支えられているもの

陰と陽の見方には、さまざま有るが
ここでの基本は、調和を意図するものと 進歩を意図するものにある
右脳的(悟性・感性)なものと 左脳的(知性・理性)なものとも言える
また、結果を生み出す原因と その結果でもある
支えるものと 支えられているもの

これら両方の視点がなければ全ては成り立たない

一番象徴的な例を挙げるなら
通貨、お金、紙幣、コインに見ることができる
1万円札のコストは数十円、そのお札がなぜ1万円と印刷されているだけで
1万円の価値あると思われるものと交換されるのか
債権や証券、通帳にしてもそうですが
数字が印刷されているだけでそれだけの価値あるものに変えることができる

価値あるものの背景には、必ずその価値を支えてくれているものが有ります
簡単に表現することは難しいかもしれませんが、その背景には「信用」がある
どのような者たちの信用がそれを支えてくれているのかとい課題は伴うが
通貨に限らず、全てこの世の中で価値あると思えるようなものには
その背景に「信用」が、必ず有ります

通貨の発行量は国によって様々ですが、その国の持っているポテンシャルを超えると当然ながら信用はなくなりその価値は消えていかざるを得ない
国債も同じでしょう。借金に当たるのでしょうが、その国の信用のある範囲内であるならどんなに借金しても大丈夫なはずです
良い借金と悪い借金がありますが、その判断は、人間心だけに置くと難しさがある

信用には、それを人間が支えている限りはあやふやな面も持っている
信用の究極には、神仏からの信用ということを考えなければならないでしょう
神仏は親のごとく、常に見守ってくれています
目には見えないが、天なる存在から見て微笑みをもって見られるようなものであるなら借金(金融緩和)にしろ恐れることはない

ただ、その見えない存在をおろそかにし
その価値あるものを支えてくれているものを見なかったり
その価値そのものの本質を見ることができなければどのようなことが起きるか

当然のように私たちは思っているけれど
この宇宙を支え維持するための力はおそらく、膨大な力が必要です
神仏にしろ、天にしろ、大いなる情熱がなければ、おそらく不可能なこと
その情熱に水を差すようなことばかりをしていては
天変地異の挙句には、この世界そのものの消滅もあるのかもしれません

人間は、間違いなく仏神の子、天の子です
その人々の信用を裏切っても経済はどん底に落ちていくように
全ての価値有るものはむなしいものとなるでしょう
この陰陽学が、みんなが価値あると思っているようなことが当たり前の存在として
これからも在り続けられるようにしたいと願うものです

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