陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-01-13

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信仰に観る二つの視点

宗教の中心概念である信仰心
無宗教を標榜する人でも信仰心は有るという人は多い
お寺や神社、教会などでためらい無く手を会わされてもいるだろう

世界には、色んな宗教がある
一神教や多神教、無宗教も一種の宗教であり
その中には信仰が有る
そしてその信仰の対象が有る
信じて仰ぎ見る、大切に思う対象が有る


その信仰の対象に、大きく分けると二つが有る
この3次元世界、この現象界における信仰には二つある

神を信じているのか
それとも、お金を信じているのか
拝金主義ともいわれるものだ
昔のバール信仰とも言われたものが現代にも有る

神を信じると言う中にも
その神よりもお金や実利を中心に置いてしまう考え方だ

画像の説明

お金を見る時に
本来ならば、その価値を支えてくれている所に「信用」とか「信頼」が必要なのに
その場所に、表面で見えているお金の価値を入れているということ
表面に書かれている数字を
裏面にも同じモノを入れている

「信用」を担保してくれている存在は様々あるが
究極は神なる存在だ
そこに、表面に見えているモノを入れ込んでしまっているのが
現代の資本主義であり
拝金主義で有り
お金が悪魔の道具になっている状態だ

お金の価値を神の信用の元に取り返し
神の意志の反映された資本主義に戻さなければ
ハルマゲドンに負けることになる

神と悪魔、どちらに力を貸すのか
様々な所で悪魔の手が伸びていることに気づかなければならない

各人の心の中でも起きていることが
社会レベルでも起きている
神の勢力を応援するためには、本物の宗教
本物の信仰が必要だ

本物か否かを見極める為には、二つの眼で立体的に観ることだろう

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