陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-07-30

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正しい判断の為に

色んな出来事に対して
色んな意見があり
色んな対立が生まれ
それぞれが自分の意見の正当性を訴える


そんな対立の中間に立ち
どちらの意見が、より正しいのか考える時に
思い浮かぶ検証方法は
論理性と客観性だ

論理性は、時間論的だ
客観性は、空間論的だ

今まで描いてきた図に当てはめると
論理性は、次の図で観るべきだろう

画像の説明

客観性は、最低でも3点での視点が必要だ

画像の説明

この客観性と論理性は
フラクタルの森的に言うならば
左目で観て右脳で客観的に考える努力をして
右目で観て左脳で論理的に考えることになる

結局は、両目で観て両方の脳機能を使いながら
額部分に有ると言われる第三の目で観て考えている人が
より正しく観ている可能性がある

ただ、ここで重要なのが
その人の世界観、人生観、宇宙観、宗教観であり
論理性の中の「いつ・どこで・だれが」に対する悟りである
時間、空間、人間に対する悟りだ

簡単に言うならば
死んだら全てが終わりなのか
死んでも魂が残り死後の生活なるものが有るのか

この世界観の違いは
論理性のスタート点に有り
この前提条件に違いが有ると後のモノが全て変わらざるをえなくなる

死後の世界、霊的世界が無いのなら
神なる存在も無いことになり
この人生の中での勝者が神なる存在であるかのようになる

私の世界観は、
霊界は有り、神なる存在も、創造主たる存在も有り
地獄も有り、悪魔悪霊も居るという世界観である

現代社会では、あの世など無いと考えている人が多い
どちらかが間違っているのだが
間違った世界観でどれだけIQの高さを誇ろうが
様々な判断に狂いが生じることは当然のことだ

今、コロナ禍の中
狂った判断をし続けている



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