陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-08-04

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第2波が来ている

この暑い時期に感染力は衰えることなく
2波、3波が予想され
こちらの方の被害の大きさが予見されている


第1波の自粛要請で経済を止めたことで一つの学習がある
費用対効果の限界だ
東京都など蓄えをほとんど使ってしまったという
そのおかげも有ってか都知事選では最高得票だったという

しかし、蓄えが尽きてしまっては打つ手が限られてくる

今の感染の勢いでは
最初の時以上の自粛が求められても当然なのに
ゴーツートラベルなどと言う政策で人の往来を活発にさせようとする

まさに、ブレーキとアクセルがごっちゃになって蛇行させる

その理由は、簡単だ
フラクタルの森で言っている所の
片目で見ているための蛇行現象だ

この片目で見るとは、
陰陽学的に言うならば
時間、空間、人間(人・時・所)を立体的に見れてないからだ

時間は、原因と結果の陰陽の2面
空間は、他者と自己の陰陽の2面
人間は、感覚と理性の陰陽の2面
常に片方にばかりぶれている

自己中で目先の結果に振り回され
ある時は、理性的であろうとして引き締め過ぎ
ある時は、その反動で感情を暴走させてしまう

更にそうなってしまう原因は
神なる存在の視点が無いからだ
究極の客観視が全くできなくなっている為に
自然界の調整を引き寄せる事が出来なくなっている

山の自然をいじっていても感じる事だが
山にも意志が有る
自然の法則、摂理と言っても良いのだろうが
自らを守り育み成長させようとする働きがある

人が機械を入れて道を造ったり平地を作ったりして
土をむき出しにさせると生き物を遠ざけようとする働きが起きる
カヤやイバラやタラのように
トゲや刃物のような働きをする植物たちが繁茂する

笹も多く茂って山の土をしっかりそこにとどめようとする
松もそのような所に激しく繁茂して
他の木よりも深く根を這わせどんな急斜面も抑え込みにかかる

全体がそれぞれの働きをしながら自然を守り育んでくれている

この様子を見ていると
人間の体を観ているようでもあるし
人間社会の経済を観ているようでもある

この自然を観ても人間を観ても
その社会の姿を観ても
そこには、意志の力が働いている

自然界も個別が勝手に生きて弱肉強食のような世界に見えて
本質には共存共栄の姿がある
木々は、太陽を求めて成長を競い
その競争に負けたものは枯れて土を肥やす

松の木も高く伸びようとして日が当たりにくくなった枝は
その格差で枯れ落ちて行く
次第に広葉樹が増えてくると
山の土は落ち葉などで肥えて松の幼木は育ちにくくなる

おそらく根っこあたりの微生物環境の変化も有るのだろうが
山の土が肥えて来るにしたがい松の勢いが抑えられ
虫が入ったりして松枯れも起きて来る

そのような栄枯盛衰を繰り返しながら
山全体が成長して変化しようとしているようなのだ

人の社会も同じことだと思う
格差を問題にする向きもあるが
格差も変化の原動力である
部分(片目で)しか見ないことで自然の摂理、法則を狂わせている

両眼を開け自然界を観れば、
その法則摂理の中心には「太陽」という存在が有る

深く考えるならば、我々人間を支えてくれている存在は
太陽であり地球という大地だ
それらに何ら意志なるモノを感じられない人が増えているが
その感じられない人たちには、感謝の気持ちは沸いてこない

感謝の心が無ければ報恩と言う思いは生まれてこない

報恩と言う思いが無ければ
それらの存在をより美しく
より素晴らしくしようとする気持ちは出てこない

創造主たる神なる存在をどう見るかということもあるが
両目を開けて全てを観ていると様々な存在に対する感謝は自然に出てきて
その奥に神なる存在の意識を感じる事が可能だ

神の願いと
神のその喜びとが
太陽の如く心の中に昇っていく姿が見えてくる

このコロナ禍の中で
神の願い
今と言う時代の神のその悲しみの想いを感じる事が
全ての解決策だと強く思う



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