陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-01-18

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どうしても、片目で見てしまう

例えば、鉄砲とかで的を狙うときにも片目で狙ってしまう
ただ、片目で狙うにしても
左右のヨコ軸の照準と、上下のタテ軸の照準とが必要なので、二つの視点が必要にはなる
そして、距離を測るために両目を使い視界を立体的に捉える必要も有る


もちろん、比喩ではあるのだが
どのような事でも陰と陽のように、二つの要素が有る

対立する要素であったり
離れていて見えにくい要素であったり
支え合っている要素であったりする
他者と自己というようなヨコ軸の認識がある
他者の要素を意識に入れにくいので、どうしても、自己を中心にして考える

混ざってしまって見えなくなっている要素であったり
重なってしまって見えなくなっているモノであったり
原因と結果というようなタテ軸の要素がある
先が見えないし、原因が判らなくなっていたりするために
目の前に展開していたり、繰り返し見せられているもので右往左往してしまい
今、ここに居る自分の視点でだけ考えがちだ

このタテ軸とヨコ軸の中で、それぞれの視界が
どうしても、今、ここに居る、自分の、そして目の前に有る現象で反応してしまう事になるのだ

タテ軸でもヨコ軸でも二つの視点が取れず
更に、タテ軸ばかりや、ヨコ軸ばかりで考える
最低でも、この4つの要素を入れて考える必要が有るのに一つで考えがちなのだ
これが、凡人の証明ではあるだろう

最低でも、原因と結果、他者と自己、この4つを無視することは出来ないのだ
それぞれに集中して観る必要が有りながら
同時に全体を意識しなければ、的に到達できないだろう

空間と時間を超越した広く大きな視野を持った人から見れば
その凡人の愚かさは、どうしようもなく悲しいものなのだろう

悟りを得た人と言っても良いのだろうが
歴史上の賢人、時を越え地域を越えて多くの人の尊敬を集めているような人が存在するが
同時代にそのような人だと認識するのは難しい

隣人にそのような人が居たとしても、それに気づかず
罪人と一緒に処刑してしまうのが凡人の哀れさだ

トランプも、もちろん、お釈迦様などには及ばないけれど
歴史上の偉人として、時を重ねると評価されてくるだろう

釈迦教団も、最初は新興宗教として相当誹謗中傷され弾圧は受けたようだ
その釈尊が再誕され、それ以上の認識力を持ち
今という、日本の地に降りられている

その智慧の一部を学ばしていただいている私たちは
それぞれが、自分自身の目で観て考えて問題の本質が見えるようになり
未来に向けて何が必要な事であるのか学んでいる、その内容の
その価値の重さに驚く必要が有るのだ

あまりにも優しい言葉で、当たり前とも思える内容の中に
永遠と無限の広がりを持った智慧が有る
もちろん、目を見張るような宇宙の神秘情報も開示されているが
受け取る私たちの愚かさで、その理解には限度が有るようだ

とにかく、「幸福の科学」に学ばなければ未来は見えないし
未来を良い方向に向けていくことは出来ない

世界を動かす政治家たちの守護霊の本音も常に収録されている
守護霊と本人とは、同じではないが
守護霊が思っていることが大きく本人の言動に影響を与えるので先が読めるのだ

過去のトップリーダーたちの、守護霊の認識は本になっているので
その証明は簡単だ
理解できないことに目をつむってしまう、片目の人には
特に読んで欲しい



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