陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-04-11

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小さな価値と大きな価値

時代は、小さな目先の価値に振り回され
大きな価値を失っているのではないか


人によって、時節によって、国によって
それぞれに共通しているはずの価値を失っている

その真理価値とも言える価値観が薄らいでいるために
次第に時代が傾いて行く

真理価値と言っても曖昧でよく分からないのだが
「お金」の問題で考えるとよく分かるかもしれない

昔、オランダでチューリップの球根に価値を認め人々が殺到した事があった
今、人々は何に価値を感じて行動しているのだろうか

今、株価はあがっているが
そこに込められている数字が本当にその価値を表しているのか

もしも、間違ったものが、
本当の意味で見れば大した価値のないものに
お金が集中しているとすれば
いずれ、何らかのタイミングでそのお金は消えて行く可能性が有る

真理価値とは何か
本当に価値あるものが何か
そこを見誤ると
そこに込めて蓄積された努力の成果を無駄にしてしまう

その最終章で現れる現象が死後の世界に現れてくる

要するに天国と地獄に分かれざるを得ない
間違ったものに価値を感じて言動を繰り返していたとすれば
その人の人生は、否定されて丸裸にされてしまうだろう

逆に、多くの人に支持されず
価値を見出されていなかったとしても
そこに本物の価値が有ったとすれば
死後、その価値は現れる事になるようだ

イエスキリストもお釈迦さんも
まるで乞食みたいな風貌だったようだが
あの世に帰ると光り輝く存在になられたという

現実にも、時代が過ぎるとその価値は表面に浮かび上がって来る
多くの資金を集める力を持つようになる



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