陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-08

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思う事

心の中に去来するいろんな思いがある
それを言葉として出してしまうと
おそらく恥ずかしくて仕方が無いだろうことも多い


今までそれほど深く考えることはなかった
大体、機嫌よく心を透明にして生きているつもりだったが
気が付けば、それほど透明ではなかった

あまり細かく言うつもりは無いけれど
思いをすべて言葉とか文章にするとしたら見苦しい
最近は、明らかに問題の有る思いの場合は
その瞬間で打ち消すように努力しているけれど
それでも、毎回毎回出てくる

おそらく、心の清らかな人は、そんな悩みは無いのかもしれない

真善美という言葉が有る
昔から関心がありその意味を知りたいと思っている
以前書いた詩にこんなのがある

真 善 美 という言葉がある
その対極には 偽 悪 醜 が有る
私たち人間にとって
真偽なるもの 善悪なるもの
これらを見極めるのはむつかしい
ただ、美醜を見ることは比較的たやすく感じられる
粘土で作られる器にも 姿の中にも 言葉の中にも
立ち居振る舞いの中にも その人生の中にもある
器を作る時は、粘土の量、タテ軸とヨコ軸の制約を受ける
タテ軸は、進歩と関連し論理性とも関わる
ヨコ軸は、調和と関連し客観性とも関わる
真偽は、論理性の中で明らかになっていく
善悪は、客観性の中で次第に明らかになっていく
では、美醜には何が必要なのか
人は表面に見えている美醜で判断しやすいけれど
本物の美は、感動を伴う
その感動も人・時・所で違いがあり、とても評価は難しいけれど
醜から離れ 美を求めつつも 
善なるものを探し
真なるものへと至る道を歩むべきなのだろう
私たちがこの地上での存在が許され
様々な人生模様が許されている背景には
真善美という価値観をとおして
より高みを目指し、そり美しいものを作り上げてほしいと神は願われているのだろうか



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