陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-15

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経済の原則

経済とは何だろうか
基本が有るはずだ

基本ピラミッド


個人の経済も国家の経済も同じことが言える
結局、その主体となっている存在が仕事をして生み出したモノが基本となる
何かを創造して
その価値が循環して生活を支え
また、仕事のエネルギーとなって支えてくれている

個人も家庭も国家も、全てフラクタルなのだ
個人で考えると能力差も有れば個性も有れば、その創造された価値は一律ではない
しかし、いろんな個性が集まり助け合い補い合いながら協力して価値を倍加させている

基本で考えるなら、生み出された価値は、それぞれに一定の限度がある
その価値を仕事をするためのエネルギーに向けるか
生活を支えるために使うか、潤いのために使うかしている
そうやって、そのピラミッドを大きくするか小さくするか、立派にしていくかどうか
それぞれの個性で創り上げている

それぞれの経済資源は、時間も有れば友人関係という人も有れば
生まれた環境も様々だけれど
その資源をどのように使うかで未来は決まっていく

国家レベルで言えば、国内総生産というGDPが有るけれど
国内で生み出される価値が一定量有る
その価値をどこに振り分けて使っているかという問題が有る
この価値(お金)の使い方で未来は決まっていく

今、それが、どこに使われているのだろう
大きく分けると、政府に行っているお金と
企業に行っているお金と
個人に行っているお金の3か所だろう
個人と企業と政府に分配されている
その分配されたお金の活かし方でそれぞれの性格が決まってくる

これらの資金が日本経済に資するような使い方をされていない面が有るようだ
企業は、バブル崩壊の時、貸しはがしなどで苦しめられて
金融システムが信用を失い企業の内部留保は大きくなっていたようだ
金融機関の株価だけは上がっていないという
資本主義の原点である金融がうまく機能しなければ、大きな仕事は出来ない

そして、国民負担率だ
要するに個人所得の5割近くが政府に吸い上げられている
様々な税金、更に消費税というみかじめ料というヤクザまがいのお金まで取り上げられている
社会保障のためなどと言いながら、取れる所、有るところから取り上げられている
結局、個人が自由に使えるお金が少なくなっているということ

個人消費が日本の経済を支えていたようだが
消費税を加速度的に上げられたおかげで、その消費経済は潰されてきた
政府が、この国民が産み出した価値を上手に使ってくれるのなら
個人所得の半分ぐらい集めて使っても良いだろうが
その中身を見る限り、その経営手腕は問題だらけのようだ

結局バラマキで国民を手なずけているだけのようだ

国家の経営も個人や企業の経営と同じのはず
むしろ、通貨発行権や徴税権が有るということは
もっとはるかに大きな仕事が出来るはずだ

その長所でも有るはずの所が、逆に仇を成している
放蕩息子に財産を渡しているようなことになっているのだろう
資産を食いつぶすだけならまだマシかもしれないけれど
もっと大きな負債を背負うことになっているように思う

経営者を変えるべき時が来ている
経営システムも変えなければならない
小手先で所得倍増だとか新しい資本主義だとか言っても駄目だ

企業でも利益を出すことが出来なければ、ボーナスも昇給もあり得ない
政府の利益に当たるところは、GDPだ
この国内総生産を増やすことが出来ないならば経営者はクビだ
給料を減額されて当然なのに
税収が足らないといって消費税増税とかインボイス制度とか言って
更にお金を集めようとする
自分たちが差配する権利をさらに増やそうとしている
まるっきり、ハンドルであるとかブレーキとかアクセルを逆に使っているとしか言えないだろう

日本経済低迷の原因は、政府の使い込みだといってよいだろう
国民に返すべきだと、つくづく思う
減税であり、小さな政府を目指すか、憲法改正を含めた国体のありようを変えるべきだ



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