陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-03-20

Top / FrontPage / 2023-03-20

法事

法事とは面白い仕組みだ
兄の三回忌
母の七回忌
同時に日曜日に有り
東京から福岡から広島から岡山から
我が家族、子や孫を含めて9人全員が参加した(大人全員三帰者)


母は少し違っていたようだが
我が家はほとんど全員が唯物論者だ
兄は霊界も神も宇宙人までも否定していた

正直、兄の死後が心配だった
お寺で法要の間、心を済ませて伝わってくる感覚を聞こうとした
時々潜在意識の声と思われるものが強く伝わるときは有るが
私に明確に聞く能力は無い

兄のものと思われるものは伝わってこなかった
母らしき思いは伝わってきた気がした
あくまでもそんな気がしたレベルだ

兄にもあの世のこと、真理をどんなに嫌がられようと伝えようとしてきた
それが無駄にはなっていないというような感じが伝わってきた
大丈夫だというメッセージのように思った
あの世のことは霊界の人に任すしかない

自分が、単に思ったというレベルだが
この思いを妄信してでも繰り返していくしかない

考えれば考えるほど、死んで終わりということはあり得ない
エネルギー普遍の法則というものもある
この思いのエネルギーが、死んでしまえば無くなるとは到底思えないのだ
法事という仕組みも誰が考え出したのか知らないけれど
生きている人とあの世に移った人との接点でもある

出来るならば、その法要のお世話をする人には多少なりとも霊感が欲しいものだ
お経を聞いても読んでも難しくて理解できないけれど
言わんとする内容は、再誕の仏陀より学んでいる
せめて、あの世の諸相の一端でも
お経に書かれている一部でも分かり易い現代語で伝えてほしいけれど
僧職にしろ司祭にしろ、あの世すら信じていない人たちが
職業として関わっている現状では難しい
やはり、本来の姿に戻すべきだと思うけれど
現代社会があまりにも見える物しか信じない以上難しいことだろう

(小さい頃このお寺の境内で地獄絵図を見せてもらったことが有る。今まで意識したことは無かったけれど、「地獄の法」という今年の基本経典がだされ、過去出された唯物論者たちの霊言の中ので、その苦しさから逃れる方法を聞いていることを思いだすと、軽い気持ちで地獄絵図を思い置こう事は出来ない。)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼