FrontPage/2024-08-04
深く考えるということ
人生は、何事であっても同じであり、世界の中で、思い、行い、結果を求めて活動している。何であっても、正しく認識するために、この7つの循環が大切な事であるにも関わらず、あまり深く考えることなく、目に見えやすい表面の結果だけで見てしまう傾向がある。
普段考えていることは「行い」の部分、要するに左脳的思考が中心になりやすいということ。
「なぜ」という動機や原因を考え「どうして、なんで」というように、右脳的にその本質を考え、更にその背景である「世界」のことまで、深く掘り下げて考えない傾向が人間にはある。
これが、「人間とは考える葦である」という哲学的言葉がある所以なのです。
人間はひ弱な存在だが、これで、万物の霊長としての立場を維持しているのに、その考えるということを放棄している。
社会が構成されるのに、道徳教育(思い)が大切だとも理解されているのですが、道徳は、思想哲学宗教を背景にしていて、その教育も現代教育では、何を恐れているのか、議論されることも無く、基礎的な宗教教育さえ避けられているのが現状です。
あの世とか霊とか、神とかは迷信の世界であり、科学的世界が真実だとして、閉じられた世界観を広げています。科学的探究には「無知の知」を認識する謙虚な姿勢が不可欠なのに、中途半端なエリートたちはそうではありません。偽物の世界観を信じています。
なぜ、どうして、なんで、と考えることなく、結局は、目に見えている世界だけで考える唯物論、無神論という世界観が蔓延しているからです。
その世界観が真なるものであるなら、世界中に宗教があることは、問題であり政教分離も当然なことです。
ただ、その真偽が逆であるなら大変なことが起こります。
中国、北朝鮮は無神論、無宗教で国づくりをして国の支配者が神に成り代わります。
無宗教も宗教の一種であり、それぞれが主なる神となる一神教の最大のものです。
対立はそれぞれの利害で起こり、そこでは対立が起こり易くなります。
多神教的に他の宗教を認めるならば、戦争までエスカレートすることは少ないでしょう。
悪魔は、人間を深く考えさせないようにして支配します。
図に有るように、上面だけで考えさせ、深く掘り下げようとすることをさせません。
その洗脳を受けて、図の下段部分まで考えられないようにさせられています。
もしも、どうやって、どうしたいのかだけ考えているようなら、悪魔の術中にはまり、死後行くべき世界は彼らの支配する世界です。
真なる世界を求め、善なる価値観を求め、美しい社会を求めるべきです。
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