陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-08-07

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教育の本質

教育とは、ある意味、人間完成の為に必要な事であり、色んなところで議論もされている。
ただ、その教育が完成されているとは言い難く、色んなところで矛盾が生じていることも事実だろう。
家庭での教育、学校での教育、社会での教育、様々に努力はされているのだが的を外している可能性は有る。


そこに不足しているのは、真善美という価値観かもしれない。

真善美

その価値観が曖昧な為に、力の強い者、立場の優位者たちの価値観が優勢を極め支配している現状がある。
要するに洗脳である。
自分たちの都合のいいように価値観を歪めることで、自分たちの利益を計り、自分たちにとって都合の良い社会を造ろうとしている。

このことがグローバリストたちの問題。
社会を支配している、政治家、官僚、金持ち、教育者、経済人たちの教育の力で一定方向に引っ張られているようだ。
今現在、日本での教育制度で一番問題なのは、学校教育だろう。
戦後、左翼的な教育がGHQの協力で推し進められたために、日本の強みでもあった道徳教育が消し去られた。
道徳教育を無力化するために、思想、哲学、宗教教育がなおざりにされ、特に宗教教育など公的な所ではタブーとされてきた。
その為に、宗教の基本的な所ですら無視され、そのようなモノは無きものとされてしまった。

要するに、真善美の真の部分、真偽の判断するための教育が無視されて、目に見えない、科学的に証明されないものは、迷信の類で有るような洗脳が繰り返されてきた。
図を見て分かるように、価値観の一番重要な所である、世界観と課題のところで唯物論を蔓延させて来た。
それが成功した結果、左翼思想の無神論が蔓延し、その社会でのトップのエリートたちが神の座に座ることになった。
それが、グローバリストたちであり、その善悪の価値観で社会制度が創られて来た。
その結果が、今という時代を造っている。

逆説的ではあるが、もっと、その教育をハッキリさせると、その先にはどんな社会を実現できるか考えると良い。
死ねば終わり、この世だけで、偶然に生きている世界なら、霊的存在も無く、神なる存在もない世界であり、人間の中の優秀なエリートたちが一番であり、そこが決める価値観に従って生きるべきだというモノが生まれてくる。
そのエリートたちがグローバリストと言われている人たち。
その価値観で世界を作ることが大切であるというような全体主義となる。

これが、今世界で起きている、ニューワールドオーダーであり、経済フォーラム、ダボス会議で行われている議論だろう。
真偽の真が彼らの価値観に有るならば、次の図のようなことが起きてくることを考えなければならない。

死後の世界

神



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