FrontPage/2024-09-01
政治大改革
ある意味、人間の営み全てが「仕事」とも言えるだろう。
政治という「仕事」をフラクタルの森に入れて考える。
政治という仕事とは何か。
国民の命と財産を守り、全ての国民の幸福に貢献するもの。
これには、小さい所では個人や家庭から国家レベルでの幸福が関わってくる。ミクロからマクロまでつながっている。
個人レベルの幸福と、神のレベルの幸福とは関連しているという前提の下で考える必要が有る。
今、日本の現状はどうなっているのか。
政治家を選ぶに際して、一票が各人に与えられ、その数の多さが競われる。多数決であり、その一票の重みはその投票した人の認識レベルに関わらず同じで、ある意味、人気投票である。
極端な言い方をすれば、それぞれの好き嫌い、損か得かで選んでいるにしかすぎない。それも、詳細な情報に基づかず雰囲気だけで選んでいる。
これでは理想的な政治家を選ぶことは難しい。メディアの恣意的な誘導の暗示に左右される。ということは、その背景に居る資本家たちの思惑が大きく影響するのは当然だろう。
以前、大川隆法総裁の講演で語られたことが有る。
どの書籍に収録されたか確認して書こうと思っていたが、まだ見つけられていないのでウル覚えの状態で書く。
今の現状は、国政では参議院と衆議院という二院制。しかし、良識の府としての参議院の役目は果たせてなくて、同じようなものだ。
先生の提案は、3院制。
一つは、現状のような一般国民が選ぶもの。
二つ目は、参議院に代わるもの。
任期は一定、6・7年ぐらいの長さにして、しかし、再選されることは無い。
その人の人生最後のご奉公として国政に関わってもらう。
その人生で積み上げた宝物、その経験を国政に生かしてもらおうというモノだ。方法としては、各産業団体の中から選んでもらうという方法がある。
三つ目は、今の官僚組織の中から選ばれる。
一定の国家資格を得た人たちの中から選出されるグループ。
この三院から押し上げられた人の中から、国民投票で国政の代表を選ぶ。
最終的には、国民の幸不幸に深く関わる人の選択を、国民の自己責任の元に委ねる。大統領制の様なものになるのだろう。
確か、こんな内容だったと思う。
これを私のフラクタルの森に入れるとすれば、一つ目は、B型的代表(愛)であり、二つ目は、AB型的代表(反省)。三つ目は,A型的代表(知)。
そして、最終的はO型的な選択(発展)と言っても良いだろう。
強引な解釈ではあるが、この組み合わせによって、正しき心の探求と愛・知・反省・発展の四正道と同じような循環が成されるだろう。
今の現状は、一つ目のB型的代表(愛)と言っても、奪う愛が横行し真実の与える愛が不在の状況では、欲望だけが蔓延し様々な不祥事が起こってしまう。そんな中で選ばれた総理は、権謀術数が横行して、醜い社会を創り出すだけだ。
それが、現実に起きている状況だろう。
この流れを押しとどめるためには、色んな要素の力が関わる必要が有る。
世界中が悪しき流れの中に有るけれど、ポイントは、それぞれが自己中であり、自分の利益だけを見ている所にある。
色んな人が、それぞれの立場で考え働くことで、少しづつ違った角度から見られ、より良い意見が生まれて、より良い仕事が成されるだろう。
神の願いが実現される状況に近づくだろう。
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