陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-09-02

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人生全てに真理知識が必要な理由

人間には、本能という性質があり、特別に教育が無くても生きていける。
しかし、その本能の中には、単に解放したままだと問題を起こす面も有る。要するに、何事にも良い子悪い子普通の子があり、その善悪を決める要素にレベルの高下があるということ。

画像の説明

多過ぎても少な過ぎても問題を起こす。


車でいうなら、アクセルにしろブレーキにしろ、ハンドル操作にしろ、正しい状況の把握が無ければ、多過ぎたり少な過ぎたりして不都合な事が起きるということ。
その加減に関わってくるのが真理である。

その中に「愛」に関する事が大きな要素となる。なぜの所だ。
この愛の問題は好き嫌いという感情とも深く関わり蛇行しやすい。
元々、人間に与えられている本能でもある。
親子の愛、家族への愛、異性への愛、仕事への愛、様々な課題における愛が有る。必ず他者が存在し、その前提には自分という者もいる。
要するに、「人間とは何か」という問題を含んでいる。

そこに「人間」に対する認識があり、この認識が図に有るように幅が有り、その、どのあたりの認識で考え行動しているかで、様々な愛の思いが影響され加減が加わってくる。

ダーウインが言うように偶然に生まれたものである場合と、神の意志で創造されたものである場合とでは違いが出てくる。その差には、各人がバラバラで関連性が無くなることと、進化した者たちと、その途中の者というような区別も出てくる。
世界中、未だに残っている人種差別の問題とも関わり、様々な搾取や戦争に至る紛争にも関わってくる。
昔、日本が戦争に引き込まれ、焼夷弾や原爆で皆殺しにされそうになったことも、その源泉は、ダーウインの思想哲学に有った。もっと遡れば、奴隷制度や植民地が拡大された歴史の元にもなっている。
優生保護法という問題が生まれて何らかの障害がある人たちが差別され被害を受けたこともある。
表面的な肌の色の違いや個性の違い、文化の違いだけでも差別が生まれて、力を持っている者の本能というか都合のみで〇✕が決められる。

私の経験でも、黒人の本当に黒々とした肌の色をした人を見た時に、とても同じ人間とは信じられなかった経験がある。
アメリカなどで、黒人を哀れに思ってなのか、BLMなどの考え方は、そのようなことに対する反動もあって起きているのだろう。
良識ある知識層を意識する人たち、リベラル系の人たちは、人種差別の経験の中で単に蛇行しているだけであり、本質的には、自分の優位性を意識し、その蛇行の中で、結果として黒人を冷遇してしまう勢力に対してレイシストとして差別し非難する。

それに対して、全ての存在が神の子として創造されたという認識なれば、当然、いろんな違いに翻弄されたとしても、神の御心を疑わず、その違いを乗り越えようとするだろう。全ての存在には意味が有り、その存在意義は理解しにくいけれど受け入れようという意識も生まれてくる。
今、行われている中国共産党やイスラエルの民族浄化のような殺戮は出来ないことになる。

このように「人間」に対する悟りだけでなく、「時間」や「空間」に対する認識が加わると、本能に支配された好き嫌いだけでなく、この「愛」に関する課題を乗り越えていく「知」(智)となり、歯止めにもなって行く。

各宗教の持っている世界観(人間・時間・空間)の認識には違いもあるだろうが、唯物論、無神論の世界観であるなら、人種差別も、愛の奪い合いも、食料や資源の奪い合いも、当然のごとく起こる。
政治家の資質として、この人間論の所だけでも偽物ではなく、本物をつかんでいる人を選ぶ必要が有る。

神なる存在を明確に説明は出来ないが、人智を越えた存在が在るという可能性に蓋をして、自分が神に成り代わってしまっている人を選ぶべきではない。
今、、政党の総裁選挙があるが、あなたは「どんな思想哲学を持っていますか」とか、「神仏を信じていますか」とか、「なにを信仰していますか」とか、聞かないということは、大きく回り道をしていることになるのではないだろうか。

要するに、神の側に立とうと努力している人と、その反対側に立っている人対する〇✕のつけ方を間違えるなら、その未来はそのようになって行く。



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