陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-09-12

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馬鹿か!

今まで何度もいろんなところで書いてきたが、地震がプレートにたまった歪みが原因だというが、絶対にそんなことはあり得ない。
なぜか。


私は陶芸を生業としている。
湯呑などの底の作業で高台の内側を削る時に、もっと弾力があれば底の厚さを計り易いのだがと思うことが有る。
削った部分の薄さ加減を指で押してその反発で測るのだが、押し返してくる力は微妙であり強くはない。削り過ぎれば穴が開き、削りが少な過ぎれば全体も重くなる。
削り作業をするたびに、粘土とか地殻とか岩盤とかにどれだけ歪みを貯め込む力が有るというのか疑問に思う。
土から粘土、そして焼かれて固くなったもの、どこに歪を貯めこむ力が有るというのだろうか。
焼き上げて石のようになっている器でも、力を貯めることは無い。限界が来れば壊れるだけだ。

本当に、呆れるばかりだ。地震学者とか科学者とか馬鹿と言うしかない。
今、少しばかりお酒が入っているので強い調子で言っているが、本当に嘆かわしい。
要するに、全てがフラクタルなのだ。

かといって、私は、明確に地震の原因が何かを知ってはいない。
しかし、世間で常識のように言われている理屈は間違っている。
身近で、地殻とか岩盤に蓄積されたひずみが解放されて、その反発力で人が骨折したり、傷ついたこ事例を知らない。私は聞いたことも見たことも無い。それなのに、プレートが動くことであれほどの地面を揺さぶる力が貯められ、建物を崩壊させ、多くの人々の命を奪う力があるという。
まるで、カルト宗教ではないか。

そんなカルト宗教の様なものは一杯ある。
ダーウインの進化論も同じであり、偶然に進化などすることは絶対に無い。
必ず原因がある。必然が有る。「なぜ」が有る。
「どのようにして」の前には、必ず「なぜ」が有る。理念が有り、動機がある。

唯物論、無神論の人たち程のカルト宗教の信者はいない。
見えなもの、見えにくいものを無視した世界観を信じている。
この世界観が、どれだけ未知なる世界、悟りの世界を遠ざけているか知らないままでいる。
地震学者という肩書に胡坐をかいているのだろうが、分からないことは分からないと認めてこそ科学的なのに、仮説を信じそれで飯を食っている。
知性有ると思われていることを裏切りたくないのだろうが、無知の知、知性に対する正直さこそ、知性の本質だと思う。



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