FrontPage/2025-03-01
減税論と増税論
大きく見て、この二つの極がある。
そもそも、税金とは何かという議論も加わって来る。
もちろん、必要が有って集められ、そして使われている。
ただ、本当に必要な物なのか、意味が有るのかという議論も出て来る。
国民の為に必要だと思われているから、国民から集められているのだろうが、その額が異常に増えていて国民生活を圧迫しているから問題になっている。
国民負担率の問題で、国民所得の半分近くが政府などに集められ、官僚や政治家たちによって使い道が決められているということだろう。
民間で企業活動の中で費用対効果の判断が加わるなら、自然淘汰的に役に立つものは生き残り、役に立たないモノはソッポを向かれ存続することは無くなる。
どうやら、社会主義的なモノが良いか、資本主義的なモノが良いかの議論にも似ている。
良識ある人たちが公平に使った方が良いのか、それとも、経済効率を自然に任せて淘汰されることでより良いサービスが残っていくことに任せるべきかという問題でもある。
秩序ある体制か、それとも、無秩序でも人間本来の神性にゆだねた方が良いのかでもある。だが、現代社会にのように信仰心が無くなったような世界で弱肉肉強食で利潤ばかりを優先していては、乱れたものになってしまう。
結局は、優秀な官僚たちにしても、国民にしろ、本当に良識があるのかという問題であり、その背景には頭の良さだけでなく、信仰心の問題が関わってくる。
要するに、左脳的・知覚的なものと、右脳的・感覚的なものが関わり、その背景にある信仰心の問題ということだ。
この三点で物事を見る必要が有る。
この3点とは、次の図の世界があり、思いが有り、行いが在るという3層の形で見ること。
この3点の重要度を考えるなら、基礎になる部分が最重要であり、次に思いであり、そして行いだ。
現代社会は、その重要度のランクが逆転している。
その逆転している原因は、唯物論、無神論の人たちが増えている所にある。
神なる存在の所に自分があり、自分の優秀さで全てが旨く行くように思っている所だ。
財務官僚には東大出の、しかも優秀な人達が入っているが、ただ、左脳的に優秀なだけの人たちが取り仕切っている所に問題がある。
トランプのように信仰心も篤く、ビジネスの世界で鍛えられた感覚を持ち合わせた人を見習うべきだろうと思う。
おそらく、左脳的にだけ優秀な人には彼は理解できないだろう。
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