FrontPage/2025-03-09
地獄への道
今朝のFM岡山の天使の「モーニングコール」、7時半からの放送で地獄の事が語られていた。それを聞いていて、ふと思ったことがある。
自分自身は、初期のころから学んでいて、当たり前のように理解していると思っていたが、どうもそれは、中途半端な理解でしかないかと思ったのだ。
地獄へ行く人の特徴の一つに、環境のせい、他人のせいにする性格が有る。
このことは、自分の中にもあることは意識していたが、これは克服できている事ではないと思った。
たとえば、何か物を探していて、なかなか探し物が見つからない時に、誰かを疑ってしまう事が有る。そのものが貴重なモノである場合は、盗難にあっているのではないかと思うこともある。
そんな理由が無いような状況でも、口には一切出さないけれど、そのような思いが浮かんでくるのだ。そんな時、意識してその思いを切り離そうとするのだが、状況によっては、しつこくそんな思いが繰り返され浮かんでくる場合もある。
そんな思いの中でいることが常態化することで地獄への切符を手に入れてしまうのだろうと思った。
これも、自己中の思いのなせる業で、この同じような気持ちには嫉妬心もあるだろう。
以前、統合失調症の人と深く関わっていたことがあり、どうしてそこまで被害妄想の気持ちが強くなるのか不思議だったけれど、なんのことは無い、先ほどの気持ちの延長線上に在ることだ。
最近、繰り返しウクライナ問題で、ゼレンスキーや西側指導者たちのことを非難しているが、彼らも結局は同じく自己中であり、被害妄想の中に居ることなのだ。自分の、自分たちの心の中に在る傾向性や、過去に起きた事などが原因の中に有るのに、それらを無視して、ロシア(ソ連)に対する不信感の上に、自分たちの正義を主張する。
そうして、戦禍を広げ、心の中だけでなく、この社会自体にも地獄を作り出している。
これら、自己中の思いは、ミクロマクロを問わず現れてくるようだ。
嫉妬心も同じことで、他者をおとしめることで自分の気持ちを維持しようとする。
結局、自己中の思いというのは、地獄への切符であるが、この思いは、他者を傷つけ引きずり下ろそうともすること。
その他者や環境のせいにしてしまう心の中には、同時に、自分自身を投影しているものがある。
以前から、愛の思いなく他者の悪口を言っている人は、自分自身を表現しているのだろうと思っていた。
その為に人の悪口の話は、聞くに堪えないと感じてはいたが、私自身の心の中で起きている他者や環境のせいにしている心の動きも同じ線上にある。
私自身の心を見つめても、人の心というモノは、いやらしい面も持っている。こんな思いから離れようとしても、ついつい浮かび上がってくる。
単純に、おめでたいくらいに天国的に見ることが出来ればと思う。
せめて、そのようなマイナスのことはあるだろうくらいに、一瞬思うくらいで良いだろう。
おそらく、造物主がこのような世界を創られた背景には、このような心の運転方法を魂たちに経験させ、より素晴らしい魂に進化して欲しいと願われているに違いない。
その上に、より素晴らしい世界が創り出されていくことを願っておられるのだろう。
今、世界で起きている不都合な事件、これらが持っている霊的世界(心象世界)での課題をクリアできなければ、地獄世界は、この現象世界にも実現し広がっていく。
そうすれば、この世界上で、3次元世界大戦に突入して、自分たちで自分たちの生存空間を破壊してしまう。
そうすれば、新たに地獄界へ向かう魂の供給源を断つことになるのだろうが、それは悲しむべきことだ。
それを阻止しようとして、救世主であるエルカンターレが地上に降りられ地獄界を推しとどめようとされている。
しかし、未だ、エルカンターレを理解し信じる人は少ない。
現代社会では、宗教ということは、手垢に汚れて使いにくい面があるが、まず、宗教には、心の教えが在るということを理解するべきだ。
その心の教えを本当に理解できているかどうかは、今朝感じたことからしても、そう簡単ではないことは事実だろう。
自分自身もそうだけれど、多くの人は、自分だけは大丈夫と感じて生きているのだろうが、先生が言われている事が正しければ、半分以上の人が地獄に堕ちているという。
その地獄での苦しみや後悔が半端でないことを思えば、生きているうちの反省が不可欠だ。
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