陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-03-15

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ダーウィンの進化論は、カルト教

ネットで調べると 、このように出て来る。

ダーウィンの進化論は、全ての生物種が共通の祖先から長い時間を経て、「自然選択」を通して進化しているというものです。自然選択は「自然淘汰(とうた)」とも呼ばれ、突然変異によって生まれた個体が、たまたま環境に適応したため生き残り、進化が起こるという考えです。

ウイキペディアでは、ダーウインの業績として次のように記しています。

種の形成理論を構築し進化生物学を発表し、全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。

以前もこの進化論の不備を指摘したことがある。
次の図の4つの要素が、必ず不可欠なのに「なぜ」の所が抜け落ちている。
このことだけで理解されても良いと思うのだが、どうも、そう簡単ではなさそうだ。
陰陽の分担

今一度、進化論を整理すると、全生物の始まりには共通のものが在ると言っているということは、化学反応とかで、何ら意志(なぜ)の投影なく、たまたま、アメーバーかなんかの単細胞の生物が出来て、それが、細胞分裂などで多細胞の生物になると同時に生殖能力を持ち、繁殖を繰り返し、長い時間をかけて進化してきたということのようだ。
要約すると、環境(世界)の変化により「突然変異」により生まれたものが、「自然選択」(自然淘汰)(適者生存)というプロセスを経て「進化」してきたとなる。

要するに、突然変異で都合よく進化する方向に変容したということ。
自然に、たまたま、偶然に起こることなら、当然ながら退化という可能性も在り得る事なのに、その個体が生存できるだけでなく、生殖能力も維持しながら変異を起こすことは在り得ない。
その個体の数がどれほど多かったとしても、その変異が生存に適したものであっても、生殖能力を保持したまま、都合よく起きるだろうか。

そもそも、生存能力だけ考えても生き物であるということは、自然の中で起きる事ならば、簡単に死滅する可能性の方が多いだろう。

その自然という中に、何らかの意思の投影が無ければ、進化という成功は在り得ない。
先日、オウムのことをやっていたが、そのカルト宗教と同じレベルである。
嘘を100回も繰り返せば事実みたいになるらしい。
ゼレンスキーや西側のリーダーたちは、プーチンを極悪人のように言っているが、メディアから繰り替えし聞かされているとそんな気にもなって来る。

私が粘土から作る器も、作ろうと思わない限り、絶対に自然には出来ない。
備前焼である以上、色合いや表情は自然に窯の中で起きるけれど、偶然に出来るものではない。
私たちが使っている自動者や電気製品、色んな便利な道具たちが、自然に、たまたま生み出され、生き延びて、高機能を持つようになったわけではない。
多くの人たちの思いや努力があっての事。

それなのに、私たちのこの体、人間の高機能なこの体が、自然に偶然に出来たという。
これが、カルト教ではなく、何だというのだろう。

無知の知」を理解すべきであり、私たちの存在の背景にある崇高なる意識、その願いを考えるべきである。



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