陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2025-03-25

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霊的人生観が必要な理由

霊的人生観が必要というだけでなく、不可欠だとも言える理由は、様々ある。
霊的であるという大前提に、霊界、あの世の存在に関する認識がある。
死後の世界の有無


人間にも量子論的に言えることだが、全てに陰陽の要素があり、人間にも粒子と波動の状態とがあるだろうことが関わってくる。
粒子は肉体人間と関わり、波動は魂と関わり、肉体が滅んでも魂は残る。波動であるということは、電波と似ていて、目には見えないが、確かにそこに在る。
臨死体験者の話を聞くと、壁も通り抜け、瞬時に移動も出来るようだ。
空間だけでなく、時間という枠も超えてしまうという。
そして、人間という枠も超え、より神仏の近くに住まうことになるようだ。
ただ、生きている時に心(波動)にため込んだ毒素が多過ぎるなら、それ相応の場所で取り去らなければ、神仏の住まわれる天国には帰れない。
それが、地獄と言われる世界だと理解している。

この上の図の元になったモノは、私が30歳の頃に人生計画を建てようとして、自分の中で想定問答した事が基本にある。
死後の世界が有るか無いかで生き方を変える必要を感じたからだ。
当時の答えは、「わからない」だった。
しかし、現実は分からないけれど、事実を拾いだせば、「おそらく、あるだろうな」という結論だった。
この答えが、霊的人生観だったとは言い難いけれど、とりあえず、生真面目に生きようとだけはしていた。
それでも、過去には反省すべきことは沢山あったのも事実。
それが、幸福の科学に出合い学ぶことで修正することが出来るようにもなっている。

先日、義理の息子、長女の旦那が広島の市会議員選挙で再選されたが、彼は、「幸福実現党」という政党から出ている。
この長女夫婦は、大学時代に知り合って結婚した供に二世会員である。
しかし福の科学だから、幸福実現党だから、霊的人生観を持ち完成された人間だとは言い切れない。ただ、唯物論の人たちに比べれば、天国と地獄ほどの開きが出てくるだろう。
政治の世界に関わるなら、絶対に不可欠だと思う。
今問題になっている、石破さんの商品券問題など、簡単に決着できる事。
世界観、人生観で、真実とは違うものを思想哲学に持っていれば、その判断に大きな狂いが生じることになる。

伝統的な仏教にも、この霊的人生観に関わる教えが含まれている。
それをベースに持った政党もあるが、その教えは形骸化して、あの世も天国地獄も信じていない人も多いようだ。
死ねば、対宇宙と一体になるぐらいに思っているのだろう。
僧侶であっても、営業の為に使っているだけの人も多いのだろう。
目に見えない世界の事なので、自分の間違えた解釈や、意図的に自分の立場を守ろうとして誤魔化している人も多いようだ。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教もヒンズー教も、時代の制約だけでなく個人の理解の限界の為に形骸化するだけでなく、間違った方向の道を歩んでも居る。
これは、新たに起こった幸福の科学という組織でも、その可能性は例外ではない。

大川隆法総裁の教えにも有るけれど、「常に正しき心の探求する姿勢」が不可欠だということ。
しかし、正しき心の探求の基本に在るのは、神仏の心を我が心として努力精進する事であり、唯物論、無神論のような思想哲学を持った人たちが政りごとを行うなら、はて、どんな世界が開けてくるだろうか。



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