陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-12-21

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フラクタルの森とは何か?

と言うことを今一度考え直してみると
簡単に言うならば、世界が全て陰と陽の要素で成り立っているとするなら
どんなに分かりにくく複雑なことであっても
必ず二つの要素の積み重ね繰り返しで成り立っているのだから
単純化し細分化して考えることで簡単に問題の解決が出来るはずだということです


基本動作として観れば、オンとオフであり、選択というハンドルであり、加速するか減速するかです
こんな見方をすれば車の運転と同じです
当然、この作業には運転者の意志が加わります
運転するモノの心が選択しています

その運転者という者を比喩で車にたとえて繰り返して観るならば
この同じ事が無限に繰り返されていることになります

陶芸作りを生業にする者がなぜこのような下手な文章を書いているのかを考えると
このフラクタルの森を使って、多くの人達に
安全に快適に目的地を目指して欲しいと言うことにつきます

車の運転の中で比喩としてみるなら、色んな問題の解決も見えて来ます

今、世界中の現状を観るならば
危険運転を世界中がしていることになるでしょう
ハンドルを間違え、アクセルとブレーキを間違え目的地に安全にたどり着けなくなっています

色んな理想の姿が有るでしょうが
皆、幸福を願っています
ただ、近道ばかりを考え、走りやすい道ばかりを選び
その目的地にたどり着けなくなっています

単純に言えば選択を間違えているだけの事
正しく見て正しい選択(思い)をして正しい行動を起こせば正しい理想の世界に行くことが出来るのです

当然ながら その理想が神の願われている理想と違っていれば大変なことになります
この神の願われている理想が理解できなければ全てが逆のモノになってしまうでしょう
霊的世界には悪魔、堕天使が存在しているようですが
そのように神に反抗することも自由として与えられている原則があり
そして、その責任は自らが取らなければならないようです
とても悲しいことです

この基本の選択を間違えないことです
神への信仰を捨て去り、悪魔や悪霊の暗示にかからないように心しなければなりません

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