陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

玄明陰陽学

 ・・・「フラクタルの森での考え方」・・・ 

基本は、言葉の中に有ります
画像の説明

全ては、この図の中に有るといっても過言ではありません

あらゆる事象が、この図で説明できるのではないだろうか

この図は、世界の中で思う事と行う事であらゆるものが出来ている事を示しています
設計図が有り具体化されているという事
設計図を変えれば結果として出来てくるものも変わってきます
思いを変えることで人生も家庭も社会も変わってくるという事です

全ての要素を正しい認識で埋める必要が実際には有るのですが
多くの場合、分かりやすい表面的なことばかりを注視して思考停止状態になっています

別の角度から分かりやすく説明すると
二つの目で立体的に見る事になります

二つの目とは、陰と陽

陰と陽とは、左目 と 右目
陰と陽とは、右脳的なモノ と 左脳的なモノ
人間の中に作り込まれた同じ構造の中で見て思って行動しているのです
この形の道を窯の上の森の中に造っています

人の目でも左右二つの眼がある事で立体的に見えます
この映像を処理する構造は、両方の眼が右脳と左脳に無限大マークのようにクロスしてつながっています

面白いことに、この構造は、いろんな事に関連しているのです
ピラミッドやメビウスの輪もそうですし
織物が縦糸と横糸が基本で織られています
キリスト教の十字架にも現れています

まさにフラクタル
自己相似性が有ります
この構造には宇宙の神秘が隠されているようです

その無限大マークのクロスしている部分が額に在るといわれるチャクラにあたり
この第三の視点で見ることで客観的に見ることが出来ます

この形は、弁証法での考えともそっくりです

右目は陽であり、自己の視点  ・・・ 正
左目は陰であり、他者の視点  ・・・ 反
クロスしている部分が第3の視点 ・・ 合

合の視点は、究極の客観視である
全存在の共通の親である神仏からの視点です
ですから、信仰心が有ることが基本です

画像の説明

また、陰と陽とは
見えにくいモノと 見えやすいモノ
支えているモノと 支えられているモノ
情的なモノと理的なモノ
という見方も出来ます

結局の所
物事を立体的に観る努力をしなければ
正しく見ることは出来ないという事です
正しく見られなければ優先順位も付けられないし
正しく思うことも出来なければ
正しい対応も出来ません
そして、正しい結果を導くことも出来ずに
幸福とは反対のモノを引き寄せてしまいます

そして、良識有る知識人としておごり高ぶる人々を造り
社会全体、世界中を悪しきモノに変えていくのです

この神から与えられた眼と脳の仕組みを良く理解して
神の願う世界をこの地上に創り上げる義務が有ると考えます

 ・・・「フラクタル陰陽学」・・・ 

「宇宙は、全て陰と陽の要素で成り立っている」

この陰陽の考え方は東洋だけでなく世界中で昔から有る。
他者と自己の関係(空間的要因)も
原因と結果の関係(時間的要因)も陰陽の関係です。
そして、人間的要因として情的なモノ(右脳的な要素)と理的なモノ(左脳的な要素)が有ります

PCもゼロイチの2進法で成り立っているように、
人生における現実の色んな判断、諸動作も2つの選択の連鎖で成り立っているようで
複雑ですが、シンプルに大きく見ていくと全てが2進法のように見えます

人生にしてもシンプルに見るならば
基本は、思い(イメージ・設計図・陰)と行い(具体化・陽)です

もっと分析的に見ると
陰陽は、5W2Hとも深く関連しています

認知・判断(何を)・・動機(なぜ)        思い
行動(どうやって)・・結果(どうしたい)     行い

画像の説明

画像の説明

総合的に分析的に見ていきますと
この4つの要素がどのようなモノにも有るようです
思い・・・見て判断(悟性)  積極的に思い(感性)
行い・・・行動して(知性)  結果が出る(理性)

それらを支えているのが、それぞれが持っている世界観、人生観です

まず、世界観、宗教観、という背景が有ります
これは、宇宙をどのように見ているのかという事です
大地が有り、目に見えやすい表面の世界が有るということです

  時間があり         (いつ)         宇宙
  空間があり         (どこで)        世界 
  人がいて          (だれが)        主体
【悟性】①課題が有り      (なにを)        客体

【感性】②思いがあって     (なぜ)         設計図
【知性】③具体化がなされ    (どうやって)      具体化
【理性】④結果が出てくる    (どうなった・どうしたい)結果 

背景としての世界があり4つの要素で成り立っていることが分かります
抽象的で分かりにくいのですが
私は、ピラミッドのようにも観えています

この構造は、全てに含まれている法則ではないのかと思えてなりません

そして、面白いことにこの分類の仕方は
釈迦の悟りの「四諦・八正道」とも対応していることです

釈迦がピパラの木の下で禅定し悟りを開いた中心となる考え方ですが
この「八正道」に基づいて釈迦弟子達が日々を反省しチャックすることで悟りを開いていった
物事を正しく認識し判断するためにはとても重要な視点です

正見            なにを(時間・空間・人間)
正思            なぜ
正語・正業・正命・正精進  どのようにして 
正念・正定         どうしたい・どうなった

もちろん、この正しさの基準は神仏の正しさです

考えるということの基本は、
それぞれに複数の選択が可能だということでありますが
正しさを求める中に魂が磨かれ魂の向上が図られ
親なる神仏へと近づいていこうとする旅が人生そのものなのかもしれません

そして、悟性、感性、知性、理性とあるように
血液型も4つ有るように
占星術の分類も4つであるように
遺伝子が4つの塩基で書き込まれているように
天体の運航で春夏秋冬という四季が生まれるように
この四面の法則は、大いなる真理と深く関わるモノではないだろうか

この法則は、ピラミッドの形にも顕れています
中心、頂点に時間空間主体という背景が有り
そして、それらが影響を及ぼしている四面で全ては成り立っている

ピラミッドパワーについてはまだ解明されていないようですが
面を東西南北に合わせることでカミソリの刃などが再生されるとして
ある国では特許が認められていたように不思議な力が有ります

宇宙のどこに住もうが、この5W2Hという言語体系は共通でしょう
この構造は、単に物事の認識に関わる事だけでなく
宇宙の根源の法則とも深く関わっているのではないでしょうか

 ・・・「 深く考えていますか 」・・・ 

5W2Hは、情報を正しく伝えるために必要な事と言われていますが
当然ながら、情報を正しく認識するためにも必要な事です。

考えるということ、深く考えるということ、
思考停止しないためにも、7つの項目が何を意味しているのか
それぞれにはっきり把握しておく必要が有ります。

まとめ直すと、
いつwhen
どこでwhere
時間と空間の中で     ・・・背景、前提、  世界観、宗教観
だれがwho
主体なるものがあり    ・・・人間、人生観  世界観・宗教観
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なにをwhat
客体なるものがあり    ・・・課題、テーマ  世界観、宗教観
なぜwhy
動機があって       ・・・目的(思い)設計図
ーーーーーーー   陰(W)と陽(H)で分かれる   ーーーーーー
どのようにしてhow to
行動が有り        ・・・手段(行い)製作工程
どうなった・どうしたいhow much.how money.how many
結果が出る        ・・・目標(成果)製品

という順番で物事は推移し繰り返し積み重ね成り立っています

画像の説明

#blog_more(): You already called

考えるとは、7つの項目それぞれに複数の視点を持ってくることでも有るでしょう。
結果をどのように見るか
方法論も色々有るでしょう
思いの中身も様々です
課題をどのように見るのかでも大きな違いが出てきます

そして、一番重要な所ですが
時間・空間・人間の見方
ここにも様々な意見があり
見方が有ります

ここは、それこそ議論されることも少なく探求している人も少ないようですが
ここが違えば、現実にも人時所の違いで善悪が違ってくるように
後のものの価値判断に大きな狂いが生じてきます

良かれと思い、良き方法で良い結果を出そうとしても客観的に見ておかしな事をやっている事だって有るのです

要するに、ここは、心象世界であり思想・宗教の世界です

真理と言っても良いし、悟りと言っても良いのですが
ここが真実と違っていた場合に大変なことが待っています

そもそも、知っているとは、どういう事でしょうか
あなたの、その知識、認識は間違ってはいないか疑ってみる必要があります
ただ、暗示にかかって思いこんでいるだけの認識ではないのでしょうか
識者に学ぶにしても、先人達から学ぶにしても、万巻の書籍から学ぶにしても
それらが必ずしも正しいわけではありません
正しい知識、正しい認識を得るためには、学びつつも、深く考える必要が有ります。

人間の認識は、本当は何段階かあります。
最低3段階はあります。
ただ、刷り込まれているだけの暗示レベル
信じているレベル
そして、確認しているレベル

深く考えることをしない場合、暗示レベルでも人は動かされてしまいます
人間は、どうしても環境に左右され
人の意見やメディアから流れてくる情報に流されてしまいます
聞いたこと、見たことに、どうしても暗示にかかってしまうものなのです
その認識の整理箱を意識することが無ければ、その知性は危ういものとなりかねません

画像の説明

では、深く考えるとは、具体的に言ってどういう事でしょう
チェックすべきは、5W2Hに有るのではないだろうか。

どうやら、どのような物事も、この7つの要素を無視して成り立つ物など無いようです
世界という前提の上に4つの要素が乗っかって繰り返し循環して物事は成り立っているようです
(どうも、血液型の4つや、星座の4つのグループや、遺伝子をつくっているつの塩基とも何らかの関連が有るように見えます。さらにこれは、右脳と左脳がそれぞれに左目と右目につながり、あたかも無限大のマークのように連携して物事を見ている形とも同じで、これを上から見るとピラミッドの形にもなります。・・・・これは単なる私の推測です)

しかしながら、世間では、深く掘り下げて考えることなく
表面的な手段と目標(結果)の所だけ、ハウツーの部分だけで止まって考えているようです。
そんな傾向が有るように見えます。

歴史に名を残しているような企業経営者などは、「なぜ」のところ
動機の所、道徳の所、目的までしっかりと押さえられています。

もっと深く考えるなら
時間・空間・人間とは何かという哲学的な所まで行きます。
正当なことであっても、人、時、所が違えば犯罪になったりするように
ここの認識が違えば正と邪が反転してしう事もあるのでとても大切なところです。

要するに「真理」ですね
悟性と言っても良いのでしょうが、世界観です。
私たちが生きている世界は、一体どのようなもので
私たちは、どのような中を生きている存在なのか
人間とは、どこから来て、何の為に生きて、どこへ行こうとしているのか

この時間・空間・人間の見方が間違っていると
たとえ良き思いで、良き行いをしていると思っていても
全く逆の結果になる事だって有るわけです。

ここで間違いを起こしている人たちが多くいます。
共産主義などの左翼傾向の思想を持つ人は、ある意味頭脳明晰な人が多いのですが
思考を停止させることをもって頭が良いとしている人たちなのです

そもそも、目に見える世界しか認識できず見ている世界が小さいから起きている現象です
Wで表現されるべき世界を見ていない人たちです
別の言い方をすれば、このWの世界の認識は右脳的なモノと関連しますので
左脳ばかりを鍛えHの部分ばかりを注視し
右脳的なところを無視してきた人たちとも言えます。

この傾向を持つ人は、左翼にも右翼にも居ます。
単に学力優秀なだけの人物に多くある傾向です
その人達を組織のトップに持ってくると間違った判断をしてしまいます。

先の大戦でも学歴のみで指揮官を選んだ結果負けにつながった面も有るようですし、
キャリア官僚の中にもこの傾向の人は多いでしょう。
どれほど学力が優秀であっても右脳的な部分、丹田とも関わりが有りますが、
ここも優秀な人というのはなかなか居ないのかもしれません

とにかく、左脳的な面だけでなく右脳的な部分が優秀である必要が有るのですが、
ここを見極めるのは難しいことなのかもしれません。
ただ、普段から「何故」を繰り返し深く考え探求さえしておれば育まれる部分だと思われます。

真理の探究

図にあるように地中深く探求する姿勢を持たなければ
単に頭が良くて切れるだけの愚か者になってしまいます。
このような人たちが、今という現代社会の中で幅を利かせているようです。
深く考える事が時代のトレンドとなるような世界を創り上げなければなりません。

宗教を唯物論者が言うような「大衆の麻薬」ととらえ
心の安心安寧を求めるだけのモノに見てしまってはいけないでしょう
宗教にも正邪が有ります
その時代に合わなくなった古い教えの宗教も有ります
ただ、この宇宙世界が神の思い(願い)によって創り出されとするならば
いつの時代にも、
その神の願いを伝えようとする働きが有るはずです
神の声を伝えようとしている「預言者」(予言者ではない)の存在があるはずです。

更に言うとするなら
神仏によって創り出されている我々の魂の中
心の中には、神仏の願いと同じモノがインプットされているはずです。
神と人間の関係と、親と子や孫との関係には同じモノが刻み込まれているはずです。
「子を持って知る 親の恩」ということわざも有りますが
「子を持って知る 神の恩(願い)」ということを、最近つくづくと感じています。
神仏の願いがどのようなモノであるのか、なかなか理解できないけれど
私達の心の中にある「良心」の中でも最良と思われるモノを見ながら想像してみると
神仏が我々一人一人をどのように見ているのか
どのようになって欲しいと願われているのか
見えてくる部分が有ります。

この「真理」の探求をなおざりにして良いわけではないのです。

「信仰心」
一番重要な所は、ここに有るでしょう。
神在りの世界を生きるのか
神無しの世界を生きるのか
前提の世界を間違って認識していては、頑張れば頑張るほど周囲の人々だけでなく
自分自身の存在価値まで無意味なモノどころか恥ずかしいモノにしてしまいます。

真理を求めるべきです。
基本的な所は、深く、信仰心とも関わってきます。

人間とは、神の手を介することなくダーウィンの言うように偶然に生まれ
環境の変化で適者生存し自然淘汰を繰り返し進化してきた存在であり、
死ねば終わりで、あの世と言われる世界も無く
魂も大宇宙と一体となり消えて無くなる存在なのか

それとも、
人間は、魂も肉体も神の子として神々の願いが込めて創られ
肉体は消滅しても魂は残り
あの世とこの世の転生を永遠に繰り返し魂の成長を目指している存在なのか
死後、天国地獄という世界も有り、思いと行いを判定され修正を迫られる世界が有るのかどうか

要するに
無宗教、無神論、唯物論が正しいのか
それとも
色んな宗教がありはするが、宗教ということを考えなければならない世界なのか

それが問われている

ここを間違えると、大いなる禍根を残すことになるだろう

・・・「 正しさを探求していますか 」・・・

色んな意見の対立が有るだろうが
どちらがより正しいのかを探る時
白紙の上に双方の意見を並べて突き合わせて観る事が大切だろう

画像の説明
先入観を捨てて事実のみを突き合わせていくと次第に浮かぶものと沈むものが出てくる

画像の説明

誰であれ、自分の考えをとりあえずは正しいと認識しています
自分と他者との意見が対立し、その対立を調整し、どちらがより正しいのかを探る時
単に白紙の上に並べて考えるだけでなく善意の第三者の意見を聞く方法がある

画像の説明

その第三者は、神仏であるならばもっとも間違いが無いことだ
双方を我が子の如く認識しているような存在が好ましい

当然ながら仏神の存在を否定しているような世界観、宗教観では
客観的に物事を見ることは不可能だろう

「真理とは何か」を考える時にも
この信仰心、仏神、天なる存在を意識できるか否かが大きな違いを生むことになる。
ただ、神様を自分たちに都合の良い姿にとらえたり、民族神レベルを持ってきたり、神を名乗ってはいけないような者を主なるものとして持ってくるものもある。
創造主的な神を名乗れる以上、全人類、全存在の父であり母でも在る存在です
厳しい存在でもあるだろうが
兄弟げんかで簡単に殺し合うことなど許される訳は有りません。

最低限、地球神、全人類を我が子と観ておられる存在から観られていると感ずる事が大切なのだと思う。
この究極的な客観視が出来るかどうかが非常に大事です。

左翼思想や全体主義の流れは、この究極の客観視が出来ないために起きている。

精神性の無い政治経済は、獣のものとなる

画像の説明

世界は、すべてが陰と陽で成り立っていると言われている。

コンピューターが2進法で成り立っているのもそうだし、紙であっても裏が無ければ存在することはできない。結果にも必ずその前の原因があり、その連鎖ですべてが成り立っている。

価値が有るモノには、それを支える原因要素がその裏には必ず有る。
お金を支えているのは信用だし、企業の利潤を支えているのは、その仕事の商品やサービスが社会のお役に立っているかどうかにかかっている。

そして、政治経済、社会を支えているのは、その国民の持つ思想宗教だということを見忘れてはならないだろう。たとえ深く考える事なく自分の思想宗教がどのようなモノで有るのか分からなかったとしても、誰であれ、必ず何らかの世界観(宗教観)を持っている。
その世界観が、判断の元になり、その未来に大きな影を投げかけることになる。

現代社会では、宗教の解釈だけでなく政教分離の意味が誤解されて伝わっている。
本来の意味は、政治権力が一つの宗教を養護し、他の宗教を弾圧すべきでないという意味であり現実に思想宗教を背景にした政党は、世界中に数多く有る。
共産党などは、無宗教、唯物論、無神論を背景にした政党である。
その他の精神世界を説明していない政党もそれに近いのだろう。
公明党は、創価学会という宗教団体では有るが、その精神性は仏教、日蓮宗と言いつつその世界観は明確ではない。
信仰の対象が仏神ではなく御利益を中心としているようにも見える。

深く考えるならば、その政治経済の背景に思想宗教が無いという事がどういう意味を成すのか考えると、それは、精神性無く、ただ、非常に表面的な利害のみで動く政治経済となる。
それは、間違いなく弱肉強食だけの世界となり獣の世界でしかなくなるだろう。

経済をフラクタルの森に入れて考える

=group,画像の説明

どのようなことも正確に判断するためには、この5W2Hを正しく埋める必要がある。
ところが、多くは目に見えやすい地表の部分、ハウツーの部分だけで考えがちです。
目に見えない部分を無視したり、間違ったもので埋めていると地上の成果は消えるしかない。

全ての物事は、前提である世界観(思想宗教)を背景にして4つの要素で成り立っています。
経済を考えるときに「お金」の問題は表面の部分ですが本質の課題は何かというと「仕事」です。
何事も、結果から入ってなぜ?を何度も繰り返し深く深く見る努力をしなければなりません。

経済で一番気になるのが、表面に出ているお金の部分、所得(給与)です ・・・・理性・結果
その給与はどこから生まれるかというと、売上(代金)から       ・・・・知性・手段
その代金は、なぜ生まれるかというとその企業の生み出す商品とかサービス・・・・感性・目的
その商品やサービスは、その企業に関わるいろんな人たちの仕事によります・・・・悟性・課題

この流れを別の図の山の形で見るとわかりやすいですが、その仕事を支えているのはそこから給与をいただいている社員たちであり、また、多くの商品やサービスで恩恵も受けてもいます。
結局、国民生活を守り豊かにするためには、この流れの質と量とスピードを上げることになる。
ここに政府が余計な力を下手に入れさせると、票目当てで福祉政策ばかりをやり国民を甘やかせ
経済の循環を悪くしてしまいます。その原因は、間違った世界観(思想宗教)にあるでしょう。

左側の世界観では、どうしても結果主義になり獣の経済がまかり通ってしまいます。
普段の生活でも人時所が違えば判断を変える必要があるように、
ここに間違いが有れば、良き動機で行ったとしても理想とする成果を得ることはできません。
思想宗教、その世界観(悟性)が正しいかどうかが問われることになる。

経済を山の形に映して考える

画像の説明

経済を陰陽で見ると、表面(陽)に見えてくるのは「お金」の流れです。
そのお金の流れを支えている陰の部分が「仕事」です。

これらが
課題(悟性)  経済とは仕事でもありその中身は「経世済民」です
目的(感性)  その仕事の目的は、
        商品やサービスをとおして社会に貢献することであり
手段(知性)  その商品やサービスに工夫をしてその価値を高め
        宣伝し売り上げを上げる努力をしすること
目標(理性)  貢献した結果としの売り上げが上がり
        そこから給与が支払われ設備投資をし、税金も納め
        その商品やサービスが、国内だけでなく
        世界中に供給できるようにしていきます。       

この流れを山の形で表して、その経済に関わってくる政府を図で表すと上のような形になります。

左翼的な思想に取り込まれた人たちは、嫉妬心を背景にして無意識化で一生懸命にこの山を低くしようとします。そのことが、結局、自分たちを貧乏の中に落とし込み、国家の税収も不足させて、国防、外交、インフラ整備、未来産業の育成などが出来なくなり福祉対策すらできなくなります。
やがて国家存亡の危機がやってきます。国民生活を守り豊かにするためには、この山の形がバランスの取れたピラミッドの形に整えながら大きく成長させなければなりません。

結局、国の税収は、「代金」のところが原資であり、所得税にしろ法人税にしろ、さらに消費税にしろ、相続税、贈与税、全ての税収は、ここに上がってくる数字(GDP)の中から生まれることをしっかり認識すべきです。政府の仕事が出すべき数字、その結果目標は、このGDPです。

これは、企業における利潤追求の所です。(社会貢献という理念、陰の部分を無視すれば、ここは消える)
ここがマイナス成長ということは、政府は何も価値あることをやっていないことになります。
ほっといても民間の生産性の向上でGDPは上がってきます。
それなのに、この20数年GDPが上昇してないということは
税金を使いながらわざわざ経済の足を引っ張っていることになります。
どこでどのように足を引っ張っているのかわからないようです。
世界情勢のせいにしたり、天候のせいやいろんな事件のせいにしますが
結論から言えば、プラススパイラルを起こすような思いと行いが出来ず
マイナススパイラルを起こさせるような判断と行動をしているのです。

その判断の狂いは次のようんところに有るでしょう。
社会保障などの福祉対策、これが政府が取り組むべき大事な仕事のように思われています。
政府が行う右側の仕事ですね。
分かり易くするために一つだけ例を上げます。
生活保護です。

政府がやるべき仕事は、生活保護の充実ではありません。
生活保護を受けなければならないような人たちが一人でも減っていくような社会を作らなければならないのです。
生活保護ということなら、受給者が減ることに反対する人は少ないでしょう。ところが、介護や年金、子育てなどに関する政府の保護に対しては意見を言う人が少なくなります。
確かにセーフティーネットはありがたいことですし、いつの時代でもこれは必要なことは理解できます。
しかし、何も努力しないで政府に何から何まで面倒見てもらおうとするマインドはいかがなものでしょう。
ゆりかごから墓場までという言葉もありますが
これは、言い換えると動物園に飼われているような状況と同じではないのでしょうか。ペットや家畜のようなことになるのではないだろうか。

それでも良しとしたとしても、ただ、そのための資金はどこからか調達しなければなりません。その調達先が、消費税増税ですか、それとも法人税や富裕層への累進課税の強化でしょうか・・・
どちらにせよ、国民が生産するところGDPから何らかの口実をつけて吸い上げなければなりません。

日本には、いろんな税金と名前がついていないものまで合わせると相当の重税国家のようです。消費税率が世界の中で少ないからここから広く浅く吸い上げようとしているようですが、消費に税金をかけるということがどういったことなのか考えなければなりません。税金は、良い子悪い子普通の子というような当てはめ方をすれば、お布施の意味と負担金の意味と制裁金の3つの意味を持ちます。
一番理想的なのは、国民がこぞって政府がそのような素晴らしい所に資金を投じるならば私たちも進んで協力したいという形での納税でしょう。
宗教などへのお布施に近い思いでの納税です。
普通は、政府や公共機関の外交防衛などのいろんなサ-ビスや、警察や消防、道路やいろんなインフラ整備を維持管理するために負担している資金です。使い続けるために受益者が負担するべき納税です。
そして、制裁的な意味合いを持つ税金があります。
たばこ税や関税などは、制裁金です。ブレーキのための税金です。
最悪なのは取れるところから取り上げようとする税金です。
相続税や贈与税など一旦所得税などで納めたあと貯め込んだところから取り上げようとします。明らかに二重取りであり取れるところから取ろうとする、まるで泥棒のような税金です。

この背景には、マルクス教的な嫉妬の哲学があります。
お金持ちは何らかの悪いことをしているんだ。
そうでなければそんなにお金を儲けることが出来るわけがないとして
そこから取り上げることに罪悪感を持たないようです。
どうやら、自分を見るように人を見ている
そのような愚かな人たちの発想なのですが、そろそろ、嫉妬を正当化するような思想から卒業するべきです。

大企業は、内部留保として莫大な資金を貯めているからとして
法人税や富裕層から取り上げようとする考えもありますが
大企業の下には、中小企業も零細企業もあります。
とりやすいからと言って取り上げたなら、その下の中小零細企業や多くの人々の首を絞めることになります。

思考停止することなく考える必要があるのです。

今続いている不況は、消費税を5%から8%に上げたことにあります。
答えは、はっきりしています。
消費税は、消費に対するブレーキ役となります。制裁金です。
消費に何らかのブレーキをかけるということは、結果としてGDPを押し下げる力となります。

本来なら国民に消費(設備投資)にアクセルを踏ませるような政策をとるべきなのに
ここにブレーキをかけるような愚をなしています。
消費税増税をしてこの経済の循環にブレーキをかけて山を低くしようとしているのです。

そのような無理なことをしている原因は、破たんしているネズミ講である年金制度など福祉政策を無理に維持しようとしているところにあります。
政府の運営するネズミ講を維持運営していくために、それぞれの負担金では間に合わず、次の年度でも11兆円の税金をつぎ込まなければなりません。ネズミ講は、そのお金の流れの中に「価値」(信用)という栄養分が含まれていないと、まったく意味がないのです。数字をいじくっただけで成り立つものではありません。ネズミ講は、間違いなく破たんするのです。年金制度は、すでに破たんしています。
消えた資金は、今までの年寄だけでなくグリーンピアとか、政府役人の天下り先の法人や年金制度を維持管理する人たちの給与や年金でしゃぶり続けられています。

甘い餌をちらつかせられ時の政権の票目当ての賄賂、バラマキという罠につかまっている国民が多いのですから仕方がないとは言え、このままでは、いくら働き者の国民が多くても、いつまでも持つわけがありません。

票目当てで福祉政策ばかりで国民を甘やかせ、経済成長を無視した政権では国を滅ぼして国民を不幸のどん底に突き落とことになるでしょう。
それに協力するような経済の専門家たちもいますが、結局は深く考えていないのです。

私たちが住んでいる世界(宇宙)とは?

私たちが住んでいる世界を見間違えていると大変だという事は
誰であっても理解できるでしょう
で、有るにも関わらずその世界観は多種多様にわたります

まったく考えていないという人たちもいます

人々の持っている世界観、ようするに、与えられている時間と空間をどのように観ているのか色んな人に聞いてみると大きくは下の図のようなモノがある。

&show(): The style ref(filename,pagename) is ambiguous and become obsolete. Please try ref(pagename/filename);

これらの世界観、要するに悟性をベースとして
判断し考え行動することになります

左翼思想に取り込まれている人は、左側を選ぶ人が多いようです。
世界観(宗教観)を間違うと、後のことに大きな影響を及ぼし、
良かれと思い一生懸命に成したとしても逆の結果になることがある。

左翼思想の人たちが言うように
あの世も無く、神仏も無く、人間は偶然にこの世に生まれ出た存在であるのなら
誰が見ていなくても誠実に生きようとすることは馬鹿みたいです
その様な世界を私は信じることが出来ません。
画像の説明

政治でも経済でも対立するようないろんな意見がありますが
その違いの原因はどこから来るのだろうと考えると
この世界観(思想・宗教)の違いが背景に有ります

時間と空間、そして人間(主体)をどう見ているかとは
その人の器の大きさとも関わってくるのです

間違った宗教観(世界観)を持っていると
間違った人生を送り
間違った政治や経済の中で
動物の如く弱肉強食の世界の中を生きるだけです

どのように頭脳明晰であってもここを間違えていると愚かです
真理を求めるということが、どれほど大事なことなのかを知るべきだろう。

フラクタル陰陽学 コイン(紙幣)の裏と表

宇宙は陰と陽の要素で成り立っている
画像の説明

具象的なモノから抽象的なモノまで
ミクロからマクロまで
顕微鏡と天体望遠鏡で見る世界が似ているように
真実はフラクタル、相似性を成す
陰と陽は、全てのモノに関連している

&show(): The style ref(filename,pagename) is ambiguous and become obsolete. Please try ref(pagename/filename);

5W2Hもしかり、Wは陰、Hは陽

どのような事柄も、詳しく説明し、より正しく伝えるためには
5W2Hで説明する必要があるように
正しい認識もこの7カ所を正確に押さえる必要が有る

この7つを分解してみると
時間・空間・人間(宗教観世界観)の認識の上に4つの項目で成り立っていることがわかる

どのような事象も  ・・・ 「なにが」

「どのようにして」と「どうなった」のハウツーの所だけで循環し成立しているモノなど有りはしない

万象万物の背景には、「なぜ」が必ずある
「なぜ」は、7つの項目全てに問いかけることの出来る不思議な言葉なのだ

「なぜ」を「どのようにして」と混同して思考停止している人達がいる
この「なぜ」の本来の意味は、動機で有り、思いでもある
土で造る器であっても、思い無くば存在できないように
本当は、万象万物の背景には必ず思いがある

この宇宙の存在自体、生命や魂の存在にも
その背景には主なる神の思いが有るとしか思えない
かのアインシュタインも言ってたようだ
「神は何故、この宇宙を造られたのか?それが最大の関心だ」と・・・・

この、本来の「なぜ」を無視している人達が左翼思想に取り込まれているようだ

表面の所だけを見る傾向のある人たちだ

何故とは、思いであり、道徳であり
更に、何故を繰り返すと思想宗教に突き至る
世界をどう見ているか、人間を、自分をどう認識しているか

ここが真実、真理とかけ離れているならば
その上に、どんなに良かれという思いで
素晴らしい思想を構築し良きことを成したと思っていても
出てくる結果は、逆のことだって有るのだ

左翼思想の間違いは、世界を小さく見ていること
その小さくなった器の優しさで世界を危ういモノとしようとする

フラクタル陰陽学(玄明陰陽学)

&show(): The style ref(filename,pagename) is ambiguous and become obsolete. Please try ref(pagename/filename);

世界は全て陰と陽で成り立っている
紙(紙幣)でも表とそれを支えている裏面(信用)があるように
どのようなモノにも必ず陰陽2面が有る。

時間的には、原因と結果
空間的には、他者と自己
人間的には、情と理
そして、全体的(宇宙的?)には、彼岸(ヒガン・あの世)と此岸(シガン・この世)

この現象世界と霊的な世界は、紙の表と裏の如く重なっている事で陰陽道という世界が成り立っている

また、陰陽とは、右脳(陰)の情的なものと、左脳(陽)の理的なモノとも関連しますので
この2つをクロスさせると見ると実際の視覚でも両目で見ることで距離感が計れるように、いろんな物事が立体的に見えるようになる

この人間に与えられたクロスする統御システムはとても不思議です
情的なものと理的なモノをクロスさせると4面が出来て
この4象限で判断し向かう先を決めているようです

したくて するべき事         ○ ○  前に進む
したくても  するべきでないこと   ○ ×  迷う
したくなくて するべき事       × ○  迷う
したくなくて するべきでも無いこと  × ×  背を向ける

何が情的に正しいのか
その悟性と感性によって色んな個性がありますし
何が理的に正しいのか
人時所の場面によっても違ってきますので難しい問題ではあります

しかし、複眼(2つの面)で見ること、
比喩で見て 深く見る5W2Hで論理的に見る)ことで物事を立体的に見る事が出来、より正しく世界を見る事が出来ると考えます。 

&show(): The style ref(filename,pagename) is ambiguous and become obsolete. Please try ref(pagename/filename);

この4象限を俯瞰すると人間の持っている徳分である悟性・感性・知性・理性とも関連し、5W2Hとも関連し、植物の育つ姿とも相似形をなしています
さらに、釈迦仏教の神髄である八正道とも関連しており、あらゆるものは比喩として見るとすべてが相似形を成しているようです。
この4象限を適切なモノで埋めようと努力すると見えていなかったモノが見えてきます。

陰陽のクロスした十字架の形は、4つの血液型や生命の設計図であるDNAの4つの塩基も無関係では無いでしょう
一点からの4つの放射線で成り立っているピラミッドのパワーとも関連しているのではないだろうか。

この陰陽で出来る4象限を埋める作業をして分かることがあります。
左翼思想は、左脳的に優秀だけれど「何故」を繰り返すことをせずに
表面だけを見て単眼で考える為に蛇行している思考です。
なぜ?と繰り返し考えても「どのようにして」というハウツーのところで止まり
whyのところまでいかない場合が多いのです
結果の所、表面だけを見ている傾向が強く
Hで止まりWの世界まで見られない人があまりにも多いのです

なぜ?は、思いであり、動機であり、発心であり、心であり、志であります
ここは、道徳(感性)でもあり
その道徳を支えているのが宗教観、思想(悟性)です
ここがなければ、全ての存在はあり得ない

a:3910 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼