陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-07-17

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価値を正しく見る難しさ

価値とはなんだろう
価値とはお金に換算して表現のできるモノ

お金とは何だろう
お金とは、価値を表す道具


しかし、その価値の感じ方は人時所によって違う
商品やサービスでもその価値には違いがあり
それ自体を交換することでも経済活動は成り立つけれど
あまりにも不便である以上
その価値を代弁する道具が必要となる

現代社会は、それぞれの国家が発行する通貨がお金として使われている
お金が価値を認められ社会に通用して広がる為には
いろんな方法が有るだろうが
政府が勝手に通貨を発行していては
財政出動に歯止めは掛からなくなって
いろんな仕事がいっぱい出来るだろうが
そのお金は、信用を失い紙くずになる
その為に、政府とは別の機関を設け中央銀行が発行するような仕組みがされているのだろう
それでも、ヘリコプターマネーとかいう方法もある

また、お金と言っても本当は色々ある
電子マネーも仮想通貨もそうだろうが
国債も証券も株券も社債も小切手も手形もポイントもお金という概念に限りなく近い

今、窯で焼いている備前焼にコインの形をした商品が有る
備前ボールと同じような使い方をしてもらおうと思って作っているのだが
表面に五芒星を描いていて
コロナウイルスなどに対する降魔の力が
セラミックパワーの不思議な作用にプラスしてくれれば良いと願っている

もし、この作品がその価値を認められ
実効性があるものと多くの人に認識されれば
表に数字は書いていないが
その商品の持っている価値でお金として通用する場合も想定することはできる

たとえお金という物が無くても
生活に必要な食品や商品、
様々なサービスが提供されるならお金という道具は必要はない
そのような未来社会を想定することは不可能では無いだろうが
この3次元社会では難しいだろう

お金とは、そんなものだろう
しかし、現実は、その道具に振り回され
財政赤字という大きな数字に恐れをなして
緊縮財政で社会を疲弊させる輩も出る
MMTなる邪説も広がり社会を毒そうとする

道具に振り回されて
あたかも躁鬱病の如くに揺れ動いて
結局は、愚かな言動を繰り返し世界を破滅に向かわせようとする

価値あると思われている道具としてのお金の使われ方が
人々の魂を
経済を国家を
神の願われているような世界に導いていく方向なら
それに使われたお金という価値も崩れることは無いだろう
その価値判断が重要なのだと思う

結局は、信用問題だ
その信用も
躁鬱病的に揺れ動いているMMT論者や
緊縮財政論者達の信用では無い
神仏から見た信用を探ることなければ
正しき心の探求をすることなければ

信用貨幣論を言っている三橋貴明氏や中野剛志氏などの
頭の良い知識人と自他ともに認めるような人達が
後世で愚か者として認識される時代が来る可能性がある



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