陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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経済とは

経世済民と言って
世のため、民のために深く関わる事

この経済は、いつの時代にも有るし
未来にも当然有る
そして、他の惑星にも有る事


この経済を考える時に、
専門家という人たちは、表面的に見えているところで考えがちだろう
その経済の力を測るときに数字を重視しがちなのかもしれない

当然ながら、私は専門家でもなければ博識でも無い
シンプルに原点を見つめる事しか出来ない

国家レベルで経済を考える時に
緊縮財政とかMMTとかで積極的な財政出動の事が言われるように、対立する二極がある
結局、緊縮財政とは、消極性が中心となり慎重なのだろう
そして、MMTとは、積極性を重視している

国家は、信用を背景に通貨を発行できる立場にあるので
この積極性と消極性の出す結果は、個人や家庭でのそれよりも大きく影響が出る

個人でも家庭でも、慎重になるべき時と、積極的になるべき時とがある
その場面や状況によりブレーキとアクセルを替えている
ここに間違いがあった場合に悪い方向に向かってしまう

個人や家庭レベルでは、それぞれに個性もあり、仕方がない面もあるだろう
市町村レベルで考えたり、国レベルで考えるなら
その判断ミスが、より多くの人たちに影響を及ぼすのだから責任重大だ

結局、行政に関わる人たちを選ぶ時に関わる問題になる

現代社会では、どうしても自分たちの利益の代表を選ぶという事になったいるのだろう
その中で、押しの強い人が選ばれて行くのかもしれない

その連鎖の上で、国政のトップにいる人たちが居るのであるなら良い方向に向きはしない
やはり、徳ある人が選ばれる必要がある

大分前のことになるが
大川隆法総裁の説法が
たしか「理想国家日本の条件」だったと思うが
国政での政治家の選び方のモデルが示されている

確か、三つのタイプで構成されていた

今のような多数決で選ばれる人たちのグループ
政治のプロのような人たち、ある意味公務員のような資格を取得したのグループ
もう一つは、各産業界から選ばれ、こちらは再選は無く
人生最後の時間を国家のために、今まで培ってきた経済界での実績を国政に生かしてもらう人たちのグループ

この三つのグループで構成される政治家たちに任せるということだ

今の多数決的民主主義だけでは
どうしても動物的な利害を背景にした政治になってしまう

この三つのグループで構成されると
より客観的な視点が得られるだろう
フラクタルの森のこの図とも関連している

別の見方をすれば
感性のグループ、知性のグループ、理性のグループとも言える
そこでの議論が、悟性の高まりを刺激して良い循環に寄与することになる

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