陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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地域の活性化には何が大切なのだろう

地域という言葉には色々含まれている。
ある意味、部分である。
フラクタルの意味は、部分(ミクロ)と全体(マクロ)は相似形を成すということ。
部分は個人で、全体は国家というとらえ方もできる。


個人の集まりが家庭を作り、家庭の集まりが地域社会を作り、家庭の集まりが市町村という自治体を作り、市町村が集まり県を作り国家をつくる。

国が素晴らしくなければ、それを構成している個人、国民のレベルが素晴らしくないということでもある。また、国のリーダーが愚かならその影響は個人にまで及ぶ。リーダーを選んでいるのは個人である以上、やはり原点は個人の質が課題であるが、どちらにせよ、双方に原因が有るということではある。

豊かさという観点から考えると、個人が産み出した、生産物、富が基本であり、その国のリーダーが、その富をどこに使うのか、どう使うのかで決まってくるだろう。
要するに税金の問題が絡んでくる。

今、国の政治は混乱している。税金だけでなく、民間の資金が利益を求めて政治家に流れ、そして、仕事をしている。政治家や官僚たちの仕事が適切ならそこに流れた資金は、効果的な仕事をして、国全体が豊かになって行くだろう。
もし、そうならなかったとすれば、民間も国レベルでも、無駄なお金の使い方がされていると言っても良い。それぞれが自己中で、自分たちの利益しか考えていなければ、悪循環を成していることが考えられる。

人が働いているということは、何らかの価値を生み出し、お金という結果に結びついている。そのお金の使い方には、良い使い方も有れば悪い使い方も有る。

これにも、幸福の科学で学んでいる「与える愛」と「奪う愛」の問題が絡んでくる。
要するにプラススパイラルを起こすようなものか、それとも、マイナススパイラルを起こすようなものか。同じことをしているように見えて方向は逆向きのことが有る。
愛・知・反省・発展という教えもある。
これは子育てとか、個人間のことも有るけれど、経済レベルの中でも働いている。
基本、愛(与える愛)が原点にあり、真理知識、正しい認識においてなされていること、結果に置ける影響など反省し、それが神仏の願いと合致しているのかチェックして、その課題が進化し進歩しているのか確認するべきだと私は認識して、いつも使っているタテ軸の思考図の中にも入れている。

仕事

愛によってなされた仕事、労働で産み出している価値(お金)が、循環していく流れの中で、価値のないもの(奪う愛)に使われていったりして、そこでプラススパイラルを起こすのではなくて、マイナススパイラルを起こす流れに吸収されていくこともある。
色んな循環が有るだろう、仕事と言っても浪費につながるようなものも、犯罪につながるようなものも有るだろう。個人がその意思で使うお金も有れば、税金で取り上げられ使われるお金も有るだろう。

どの使い方が良くて悪いのか問うと、本質的な「知」の問題は関わってくる。善悪の問題だ。どんな仕事も、それぞれに良かれと思い成されているが、個人レベルで反省しても、何ら役に立たないこと、また逆に自分を堕落させ堕落に導くようなお金の使い方をしていたことは一杯あるだろう。

国家レベルでも同じであり、悪しき使い方は一杯ある。バラマキだ。
福祉と言いながら、国民をダメにするようなものも有る。国民の福祉や育成や経済成長に貢献しようとして多大なお金が国民の要望により使われているが、どうしてもやり過ぎる傾向は有る。国と国民、双方に甘えも有るだろう。その中でそのような感情を利用して詐欺レベルの仕事も紛れ込むだろう。

結論を言うならば、国が多くの金を集めてする仕事の中に、ムダレベル以上の悪い仕事が紛れ込む。税金を少なくして、国民の過ぎた甘えを廃止して、それぞれの自主性でその資金を使っていった方がいい場合もあるだろう。
自分たちが蓄積したお金の使い道は真剣に考えるが、税金という形でその制度の中で集められた莫大な金は、その魅力と誘惑の中で判断を狂わせる。

本当に国民、国家の為になることなのかという判断ではなくて、利己的な思いも紛れ込む。票につながるのか、評判を上げることにつながるか、あらゆる誘惑が紛れ込む。
大きな政府は、どうしてもそうなっていくだろう。
継続して支配力を持ち、独断と偏見が加わるならばそうなっていく。

税金を安くして個人の判断にお金の使い方を委ねる方が良い使い方になる可能性が高い。

言い換えるなら、石油とか地下資源が豊富にある地域を支配することで豊かになるだけなら、国際紛争でもよく見受けられるように、その支配の為にどのような事でもする。陰謀を巡らせて軍事力を使っても、その得ることの出来る結果は大きい。
この税収という金鉱があるなら、その誘惑はとても大きいことを肝に銘じるべきだ。

愛・知・反省・発展の流れを注視しながら、お金の流れも見ていないと、自分で自分の首を絞めるようなことになってしまう。
日本は、世界でも個人資産の多さは群を抜いているという。
その金鉱を狙ってアメリカという同盟国をよそっている者たちにも狙われている。政府官僚たちもその資金源を維持確保するために暗躍する。経済人たちも自分たちの権益の確保の為に動く。大手メディアも広告収入などで手足になって働く。
それぞれの立場で、この愛・知・反省・発展の流れが狂ている。
この循環の原点に在る愛のレベルが、愛の名に値しないものになっている。
その原因は、世界観の中にあり、唯物論、無神論に起因している。
その反対のモノが世界の常識にならなければ、マイナススパイラルの流れを止められないだろう。

結局、力の有る者、立場の有る者たちによって中央集権化が進み、人材も資金も一か所に在るまり、全体主義化も進むだろう。民主主義の弊害は、多数決で物事が決まって。その多数の認識が低レベルだったり間違っていれば、全体の動きは蛇行する。やはり、個性が生かされる環境が必要だということ。中央にあらゆる力が集まることのプラス面は有るだろうが、間違うと全体の未来を危うくする。
一言で言うなら、大きすぎる政府は危険だということだ。 
大きな政府が、大きなお金を集めて仕事をし過ぎないこと。
部分と全体のバランスは難しいだろうが、もっと、個人とか地方の活性化が必要だろう。そのためにも政府が税金でお金を取り上げ過ぎないことが大切だ。
消費税などは、税収を増やすに効果的だろうが、その弊害は間違いなく出ている。



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