陶玄郷

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静岡県の川勝平太知事

彼の発言を私のタテ軸の思考図に入れてみると、彼の本質が見えてくる。


世界・思い・行い

明らかに彼の言動には問題がある。
自分たちの立ち位置が、知性・理性があり、優秀であるかの如く思って居るのだろう。私が一番問題に感じている左脳的な知性理性だけ優秀で右脳的な悟性・感性が愚鈍になっている人の代表でもあるだろう。
彼は、自分の判断が正しいと思い込み、その正しさを色んなことに反映させようとしている。彼の思考を知ることは難しいけれど、人は、思って居ることを表現するモノだ。

昔、私の経験でこんなことが有った。ふと私の口をついて出てきた言葉にj分で驚いてしまったのだ。おそらく相手には伝わっていないと思うが、その言葉は、それまで考えていた内容を言葉にして出しているのであり、ハッキリとその言葉に含まれている汚さが見て取れた。その思い自体が問題であり反省するととても恥ずかしい内容だった。
細かな内容は、さすがに恥ずべきことだったためか記憶の倉庫から消し去られている。しかし、問題を含んでいる思いであり、出てしまった言葉を取り去りたいと思う内容だったんだ。その教訓は、思いは必ず言動に現れてくること。言葉は自分自身を表現しようとしている事。そして、人は、自分を見るように人を見ているということ。

よく平気で人の悪口を口にする人が居るが、愛の思いなく簡単に悪口を言う人は、自分を表現しているのだと理解している。疑いをかけるにしても、自分ならそんな時にこうするだろうと思って居ることを、簡単に人に押し付けて考えるようだ。色んな事件に対して陰謀論だと決めつける人も居るが、その反論の中にも自分で過去になしたことを投影させている人もいる。同じ内容のことを表現しても、その中に愛の片鱗が無ければ、自分ならこうする、もしくは、そうして来たということを表現しているに近いだろう。

静岡県知事の彼は、辞任表明しているが、おそらく、自分自身の内面に潜んでいる邪悪なモノに気づいたのかもしれない。
リニア新幹線に反対しているのも、彼なりの論理は有るのだろうが、その論理の中に、利己的で自分を中心にしてしか考えられないものを感じているのかもしれない。これ以上恥ずべきものが表面に出ることを潜在意識化で恐れるようになったのかもしれない。

彼の思考の原点には、おそらく、唯物論、無神論がある。
しかし、彼であっても神仏の子である。その視点から考えるなら判断にも違いが出るはずだが、心の中に神仏の片鱗が存在しないなら彼は間違いなく神仏とは違う世界に行くことになるだろう。それがどんな世界か分からないけれど、昔の私も同じ世界に行くことになっただろう。しかし、真理を学び、心の中に創り出している闇を消そうと努力することで方向は少しは変わったはずだ。

彼が口に出しているように、彼が辞職することで県民だけでなく、国民の為にもなり、これ以上の罪を彼は犯さないで済むかもしれない。リニア新幹線も未来の社会に貢献するモノなのに、彼一人の思いでブレーキをかけていたとするならば、その罪は重いだろう。その思いの中に紛れ込んでいる邪悪な汚い思いを綺麗ごとでカムフラージュして言い包め続けるなら、より深い地獄へと沈み込んでいくだろう。

県民がこのような人を県のリーダーに選んだことにも罪は有る。
その県民にも彼と同じく左脳的な価値観だけの人が多くいる。
これは全国、全世界同じかもしれない。右脳的価値観、悟性・感性の価値観が復活しなければ、邪悪なリーダーを選び、自らがこの文明の最後の幕を引くのだろう。
正しい信仰が不可欠な時代が来ている。
神仏なる存在を自分たちの外にも内にも感じることが必要だと思う。



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