陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-04-14

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言葉というレコードに何を刻み込むのか

素粒子(量子)の世界では、本来、波(波動・エネルギー)として存在しているけれど。観測者が居れば粒として働くという。
この原理は私には理解できないけれど、実験から導かれていることのようだ。


これはどういうことなのかと考えていたが、言霊を力とその質として考えると何となくわかる。
レコード盤に音は刻まれて再生して聞くことはできるけれど、その音の響きは人によって違いがある。美しい音も濁った音もある。
例えば「ありがとう」という言葉には色んな意味が込められる。
ということは、いろんな人が色んな場面で発しているが、そこにはそれぞれの認識があり、様々な情報やエネルギーが存在していることが推定される。

量子の世界でも同じことで、波として発せられた言葉が、
それぞれの認識に従って言葉が粒として物質としてエネルギーとして発信されて、その仕事が成される。相手に対する関係性の中で具体化されるということ。
その言葉にどのようなモノを載せることが出来るのかが課題なのだろう。

これは、レコード盤に刻まれる音楽と同じで、美しくも汚くもできる。
真善美という価値観があるが、この価値観で推し量ることは、受け手の持っている価値観とも関わり難しいけれど、次の図で表しているようなことのチェックも必要なのだろう。

与える愛の言葉、ありがとうという言葉の振動にどれだけの愛の思いが込められているか、どれだけの感謝の思いが込められているか、先生の教えの中に、どんなに単純な仕事の中にも、どれだけの愛の思いが込められるかという課題があったけれど、まさしく今、それを身に染みて考えさせられている。
真善美



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