陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2024-04-24

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人の判断

それぞれには個性がある
そして、その個性で判断する
個性とは何だろうと考えると迷路に入る


人の認識は様々だ
基本、学びから入るだろうが
ここでの基本は、信じて受け入れていることだ

信じるということで考えるなら
色んな情報が私たちの周りを覆っている

例えば選挙ということが有り
評価にもつながるけれど
多くの候補者がいる中でだれを選ぶか
その選ばれ方は、とても単純んだ
知っている人、自分に近しい人、学歴やスキルで見たりもする
その人のポテンシャル、人柄を知っても居ないのに
その人にまつりごとを委ね、自分たちの未来を任してしまっている

結局、信じているだけだ
では、何を基準にして信じているのか
どうやら、どこには、基準となる価値観が作用するようだ

乱暴な言い方かもしれないが
結局は、自分に利が有るかどうかだ
もちろん、その利得には個人的なモノと社会的なものとがある
個人的にも社会的にも、その利害には二つ以上のものがある
その個を始まりにして複数の意見が発生するということだ
この複数の利害をどう見てどう判断するか
これを立体的に見ない限り正しい見方は出来ないだろう

世界で起きている意見の対立を次の図に入れて考えることだと思う
愚かは判断、愚かな価値基準に翻弄されたり
愚かな選択をする人たちの共通点は、立体的に見ることが出来ないでいるということのようだ

画像の説明

ワクチンに対する評価
ウクライナ紛争の評価、アメリカのバイデンとトランプに対する評価
日本の政治現状の評価、様々な評価がある
二択で考えただけでも、その選択の基準がそれぞれにはあり、その選択が
未来を分ける



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